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心情開拓
心霊を育てる生活原則(188)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』〈200549日第3版発行〉より)

18 主従関係の愛

▲李耀翰先生

神様を心情で知る

 「神様を疑う」。これは、大体心の正しくない人がよく使う言葉です。人間の本性は、本来神様を疑わないようになっています。人間は、神様の存在を生まれながらに信じるようになっています。自分を生んでくださった父母を、子供は自然に知るようになっているのです。父母が子供に「私は、あなたの父母です」と言うでしょうか。子供は、自動的に父母に従うように創造されているのであって、父母に逆らうようには創造されていません。

 愛の主体者とは、自動的に関係が結ばれるようになっています。愛の主体者との関係が良ければ、心は安らかになり、主体者との関係が悪いと、心細く、悲しく、寂しくなるのです。本来、創造がそうなっているのです。

 日光を浴びると、心と体はとても熱く感じます。日陰に入ると、涼しくなります。「日光は熱いから、日向に出ると体が熱くなる。日陰は涼しい」と教えなくても、自然に分かるようになっています。これはどういうことかといえば、人間は神様のことを自動的に知るようになっているというのです。

 ところで、人間は堕落して過ちを犯し、父母に心配をかけています。神様を疑う人は、おおむね父母に心配をかけ、上の人を裏切ります。このような人はみな、無神論者であり、唯物論者なのです。

 共産主義者とは、どのような人たちか知っていますか。私の知人の中で、共産主義者となって、満州を経てソ連に入った人がいます。この人は自分の家に帰っても、いつも親に心配をかけていました。

 父母との関係の良い人は、自動的に教会へ行きたいと思うようになっています。「神様がいるだろうか、いないだろうか」と考えたり、判断することは間違っています。父母との関係の良い人は、自分の親より立派な人と出会うと、その人を尊敬します。自分の親より立派な方であることが心で分かるのです。

 神様の存在を、観念によって判断してはいけません。なぜならば、それは心情の問題だからです。母親の妊娠や出産を胎内の子供が知っているでしょうか。全く知る由もありません。理性では分からないのです。しかし、情が自然に通じているので、自分の親がだれであるのか分かるのです。神様に対しても、これと同じなのです。理論だけで、神様がいるだろうと判断してはいけないのです。知と情をよく見分けた上で、心情的に分からなければならないのです。

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 次回は、「恵みが人格化するまでは秘密の期間」をお届けします。


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