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宣教師ザビエルの夢 73

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第六章 ザビエルの願いをたずねて

一、建てかえられた神殿

●ザビエル記念聖堂の焼失
 1991年の9月、山口にあるザビエル記念聖堂が焼失したというニュースが報道されました。私がアメリカに渡って間もなくのころでしたが、いつか訪れてみたいと願っていた聖堂が崩れ去ったことを知り、残念でなりませんでした。それと同時に、そこに何か象徴的な意味を見いだしていました。

▲焼失前のザビエル記念聖堂(山口市)

 ユダヤ教の伝統において、神殿は神の家であり、尊き犠牲をささげる神聖な場所として守られてきました。またキリスト教の伝統において、聖堂は、イエス・キリストの宿るところ、神の家として尊重されています。それは、功労の高い聖人や殉教者を記念し、国や地域の安寧のために彼らの保護を願うものです。例えば、長崎の大浦天主堂は、1597年に殉教した日本26聖人を記念し、それから270年後に建立されました。聖堂の正面は、殉教者たちが架刑(かけい)に処せられた西坂の丘の方に向かって立っています。そこがまた、潜伏キリシタン発見の場所ともなりました。

 先に焼失した山口の聖堂は、ザビエルの宣教400年を記念して、1952年に建立されたものです。それは、日本の終戦から7年目のことでした。この3年ほど前には、ザビエルの遺骸の一部、ローマの教会に安置されている彼の右腕が日本を訪れ、全国を巡回し、日本の精神復興に貢献したという話を聞いています。この聖堂が原因不明の出火で燃え尽きたのは、それから40年目を迎えようとしている時でした。国内情勢を見れば、ちょうど55年体制のほころびが見え始めたころで、その後に起こる「日本の神話」崩壊の予兆でもあるかのように感じられました。大きな災害や、今まで考えなかったような事件が多発するのは、ちょうどこのころからではなかったかと思います。

 それからさらに7年の歳月が流れ、聖堂は近代的デザインに生まれ変わりました。この聖堂の崩壊と再建の様子をたずねてみると、それはキリスト教を担ってきた人々に、また日本全体に対して刷新を促す天の声だと思えて仕方ありません。それがどのようなメッセージなのかは、この聖堂が記念し献(ささ)げられた聖人の願いをたずねることによって、より明確になるのではないかと思うのです。

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 次回は、「浦上天主堂の再建」をお届けします。


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