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シリーズ・「宗教」を読み解く 345
イグナチオ・デ・ロヨラの霊性⑬
「イエズス会」の誕生

ナビゲーター:石丸 志信

 イグナチオと6人の同志が新たな出発をなすために一堂に会したのは、1534年8月15日のことだった。

 彼らは、これから何をすべきかを熟慮し決定するために、パリの守護聖人、殉教者聖デニス記念聖堂で祈ることにした。
 その聖堂は、パリの郊外モンマルトルの丘の斜面にあった。

 パリがまだローマ帝国の植民都市であった時代、宣教のためこの地に訪れた聖デニスは捕らえられ、この丘で断首され殉教した。
 伝説によると、聖人は切り落とされた自らの首を抱えて立ち上がり、そばの泉の水で血を洗い清めて、さらに歩き続けた後、息絶えたという。

 それからおよそ1300年後、殉教者の血の祭壇の前で、世界宣教の志を抱く若者たちが、生涯を神に奉献する決意を固めて集まった。たった7人の小さな群れだったが、新しい使命感に燃えていた。

 彼らは、この日、ミサ聖祭をささげ、三つの誓いを立てた。
 修道者の伝統に従い「清貧」と「貞潔」を誓うと共に、「エルサレムへの巡礼と同地での奉仕、それが不可能なら教皇の望むところへどこでもゆく」という誓いを加えた。

 「清貧」はキリスト教的完徳の生活をなすために、私有財産の一切を放棄し、「貞潔」は結婚生活を放棄して独身を保ち、イエス・キリストにのみ貞潔をささげることを指す。
 そして、三番目の誓いは、これまでの伝統から見れば、全く独自なものだった。

 イエスが歩まれたその場所、聖なる都エルサレムで、神の栄光といまだにイエスを主キリストとして受け入れることのできない人々の救霊のために働くことを意味していた。
 しかし、エルサレムの情勢が不安定でそこにとどまることが困難な場合には、ローマ教皇の命ずる所ならば世界のどこにでも宣教に出かける、という意味に変えられた。

 この日、世界宣教と教育を第一の使命とする一団が生まれた。
 初め「イエズス隊」と自称し、後に「イエズス会」という名称で公認されることになる新たな修道会が誕生した。

 この日から数えてちょうど15年目のその日、フランシスコ・ザビエルは極東の日本に福音の種を携えて上陸する。

【参照】
『イグナチオとイエズス会』(フランシス・トムソン著 中野記偉訳 講談、92~95ページ)



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