2024.12.03 17:00
シリーズ・「宗教」を読み解く 344
イグナチオ・デ・ロヨラの霊性⑫
イグナチオと同志たち
ナビゲーター:石丸 志信
困難を越えてエルサレム巡礼を果たしたイグナチオは、いつまでも聖地にとどまりたいと願ったが、神はそれを許さなかった。
それがみこころではないと悟った彼は、人々の救霊のためには勉学に励むことが必要だと決意を固めてスペインに戻った。
帰路もいくつかの困難を越えなければならなかったが、無事故郷に戻ることができた。イグナチオはこの時すでに33歳になっていた。
彼は少年たちと机を並べて、ラテン語および哲学を学ぶことから始めた。その間も、人々に教えを説き、貧しい者を助け、請われれば霊的指導を施していた。
しかし時に、異端の嫌疑がかけられ、投獄され、宗教裁判の法廷に引き出されることもあった。
1529年、38歳になったイグナチオは、こうした試練を越えてパリのバルバラ学院で人文学、哲学の基礎を学び始めた。
この間に、彼に託された国際的な使命を果たすため、頼もしい同志が与えられることになる。
その初穂は、ジュネーブ出身のファーブル。牧童出身の秀才だった。
学業に長(た)けたファーブルは、同室になった年上の新入生イグナチオの勉強を助けた。
哲学をはじめ諸学問の知識をイグナチオに教え、一方イグナチオは、神学についての知識をことごとく彼に授けた。
また彼が将来の方向性について思い悩んだ時、イグナチオは良き相談相手となった。
ファーブルは、素直にイグナチオの指導に従い、控えめな若者から勇敢なキリストの騎士へと生まれ変わった。
これに続くのが、イグナチオの最高傑作といわれる同郷のフランシスコ・ザビエルだった。
彼は頭も切れ、陽気で社交的、相当な野心家であった。彼は名声を得ることを喜びとし、高名な学者、聖職者となって故郷に凱旋(がいせん)することを夢見ていた。
そのような彼には、イグナチオはうっとうしい存在で、敬遠しがちだった。
しかしザビエルの中に秘めた本性の輝きを見いだしたイグナチオは、彼のために密(ひそ)かに精誠をささげてきた。そしてその忍耐と祈りと知恵が勝った。
『霊操』には、「謙遜の三段階」が明記されている(『霊操』イグナチオ・デ・ロヨラ著 門脇佳吉訳・解説 岩波文庫、165~169ページ参照)。
第一は、すべてにおいてわれわれの主なる神の掟に従うために、できる限り身を低くして、へりくだること。
第二は、神の奉仕のためには富、名誉、長寿を求めないこと。
第三は、神の讃美と栄光のために、キリストに倣い、似た者となるために、富よりも貧しさを、名誉よりも侮蔑を、賢者とみなされるよりも愚者と見られることを望むこと、の三段階だ。
観想の方法に記された「謙遜の三段階」は、イグナチオが実践したものだった。
その姿の中に真実を見いだしたザビエルは、イグナチオの指導に従い、ようやく本来の使命に目覚めることになった。
この時期、ファーブル、ザビエルに続いて、さらに若き4人の同志が見いだされた。
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