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シリーズ・「宗教」を読み解く 343
イグナチオ・デ・ロヨラの霊性⑪
イグナチオと霊操

ナビゲーター:石丸 志信

 イグナチオの『霊操』の中に次のような記述がある。

 「歴史的出来事を記憶の裡(うち)に引き入れ、保つ。ここでわれわれの主キリストが晩餐の準備のために、ベタニアから二人の弟子をエルサレムへ遣わし、その後、主も他の弟子たちと共に晩餐に行かれたことを思い起こす。
 …現場に身を置くこと。
 …晩餐に列席している人々を見、私自身の裡に感受したことを深く省みつつ、そこから何らかの霊益を収めるように努める。
 …彼らが話していることを聞く。
 …彼らが何をしているかを見詰める。
 …観想する場面に従って、われわれの主キリストが人間として苦しまれたこと、苦しむことを望まれたことを考察する。そして、ここで心をこめ、気力を尽くして苦しみ、悲しみ、涙するように努める」(『霊操』イグナチオ・デ・ロヨラ著 門脇佳吉訳・解説 岩波文庫、186~187ページ)

 これは、『霊操』の第三週、夜中に行う第一観想の三つの前備と四つの要点を述べた箇所である。
 イエス・キリストに従いたいと切望する者たちに、福音書に従って彼の生涯を観想するように勧めている。

 イグナチオのいう観想とは、神の救いのみ業がなされた現場に身を置き、その出来事をつぶさに見ること。その出来事に立ち会っていたかのように感じ、それを自らの記憶に刻むこと、である。

 イグナチオはエルサレムの聖地に立ってこれを実践した。
 彼は、イエス・キリストが十字架を担って歩まれた場所を一歩一歩踏みしめ歩きながら、鞭(むち)打たれ、茨(いばら)の冠をかぶせられ、血を流されるその姿をつぶさに観た。そして、イエス・キリストの味わった痛みをも感じようと努めた。

 自叙伝にはこんなエピソードも記されている。
 彼は、聖地を去る前にオリーブ山を訪れ、昇天された主の足跡(あしあと)が残された岩に触れ、祈ってその場を去った後で、「イエスの右脚がどちらの方向にあり、左脚はどの方向にあったか」(『ある巡礼者の物語~イグナチオ・デ・ロヨラ自叙伝』イグナチオ・デ・ロヨラ著 門脇佳吉訳・解 岩波文庫109ページ)が気になって、もう一度確かめに戻った、とある。イエス・キリストの一挙手一投足を知って、それに倣いたいと思ったのだ。

 『霊操』第三週の第二観想には、前備として「切に望んでいるものを願う。この御受難の観想においては、苦しまれたキリストと共に苦しみ、打ちひしがれたキリストと共に打ちひしがれ、涙し、キリストが私のためにこれほどまで苦しまれたことを思い、私も深く苦しむことを切願する」(『霊操』〈前掲書〉、190ページ)とある。

 これもまた、イグナチオの聖地での巡礼体験に基づくものだろう。



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