2024.12.06 17:00
心情開拓
心霊を育てる生活原則(185)
原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。
李耀翰・著
16 結実時代
(巡回師認定講座より 1984年4月18日)
復帰摂理が根本
結局は、アダムの家庭でエバが不信したのを、神は再び信仰をもたせようとした。これが6000年の歴史です。それから、エバが心情を浪費した。神から受けた愛を天使長に奪われた。それが6000年の間、さかんに蔑視(べっし)されながらでも、神を愛する心を試練されてきた。エバが失った愛を、私たちは、信仰をもってその愛を求めて、神に返す場面の路程が今です。それから、エバによってアベルを失ったので、エバによってアベルを生ませようとするのが、今の神の摂理です。
カインがアベルを殺したのを、弟が長子復帰をする。アベルがカインを感動させ屈服して、カインに長子として認められるべき復帰摂理です。未熟な者が夫婦生活をして未熟な後孫をこんなに地上に生んだのを、熟した夫婦を中心として、本当に素晴らしい血統の実体を生ませるための神の復帰摂理です。
アダムの家庭の根本問題を、歴史を通し、象徴的、形象的に復帰しながら、最後に私たち祝福家庭を中心として、み旨のための血統をもった一男一女をもって、み旨のための後孫を生むのです。み旨しか知らない血統から、み旨しか知らない後孫を生みたいのが今、統一教会の家庭を中心としての神の願いです。
ですから、牧会においても、復帰摂理が根本です。皆さんの生活も、それが根本です。この世の問題、自分の生活圏の心配事、いろんな苦痛の問題は自分が抱えて、供え物として救済しなければならないのです。それが愛をもった人、先に来た人たちの責任です。
結論は、皆さんの実体が本当に正しい心情の作用、心情の原動力をもつことです。人間と付き合うときも日本的皮をむいて、血統的な情を超越して、神の愛の本性の主管性をもった自分にならないと、自分のやっている仕事を、神の立場で、神の代表者として責任を果たす可能性がないのです。
自分が神様の立場での自分を知るのが生きた人、正しい人です。自分はあいまいな立場に立っていながらも、神の立場に立ったと思ったら、これは大変なことになる。「自分は生きている。自分は生命をもっている。自分は喜んでいる。果たしてこれは神の立場に立った笑いなのか、自信あるか。果たして、今私が存在している、その自分の心情の判断が、神の判断とピッタリ同じか、同じでないか」。こういうふうに考える皆さんは、もう自分の立場を知るはずなのです。その自信をもたないといけない。
神様に否定されても、自信をもった人は、アベルに否定されても不快心をもたない。アブラハムの妻サラは、異邦の王様のもとにいても、自信をもっていた。安心している。そこにいても、神様の心と同じだから神様が主管することができた。同じ判断だと、神様が責任をもつ。だから祈祷の時間が必要なのです。
私たちは転換しなくてはならない主人、中心人物です。みな中心人物です。だれかを信じる時ではない。私たちでなくては転換できない時だ。私でなくては転換できない時だと、各々自分が自分の責任をもって、自分の担当した場所で勝利しなくてはならないようになっています。私もそのように暮らす覚悟をしました。
---
次回は、「清く謙虚な心で」をお届けします。