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宣教師ザビエルの夢 69

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第五章 律法の精神と現代日本への教訓

四、「偽証してはならない、むさぼってはならない」

●牧者の営み
 イギリスの文筆家チェスタトンが生み出した、愛すべきミステリーの主人公ブラウン神父は、後に回心することになる大泥棒(どろぼう)フランボウとの初めての対決の最中に、こんな言葉を投げかけて、あっと言わせます。

 「他人のほんとうの罪を聞くよりほかに、することがない男が、人間悪についてなにも知らずにいるなんてことがありますかね?」(G・K・チェスタトン著『ブラウン神父の童心』東京創元社、1982年)

 このせりふに罪の告白を聴き、ゆるしの秘跡(◆注15)にかかわる使命を担ったカトリック司祭の、牧会者としての本来の姿を浮かび上がらせています。

 偽りの心と偽りの言葉、貪欲(どんよく)な心とむさぼり。十戒が見抜いてきた邪悪の極み、そこに陥った人間の心根までも解放するために、選民の指導者である牧会者たちは、悪をはっきりと見つめつつ、み言葉を盾として、愛の戦いを歴史に刻んできました。

 魂のケアをもっぱらの使命とする彼らは、偉大なるカウンセラーとして来られるメシアの先駆者たちでした。メシアとともに最終的な解決をみることになる救いのみ業に備えて、十戒をその中心に据えた律法は、人類の前にその不幸なる姿を浮かび上がらせつつ、本来の姿に立ち返るための戦いを強いるものでした。それは人類に対して、救いの業を完結するための、協力の呼びかけでもあるのです。

 こうしてみると、神からの言葉は、悪を明示するものであれ、慈しみと哀れみの表現であれ、人類に希望をもたらすものだといえます。ですから私たちもまた、邪悪な心ではなく真実の心をもって言葉を語り、偽りのない人生を送ることが求められるのです。それは、十戒が指し示す言葉の、生きた証(あかし)となるものです。


◆注15:ゆるしの秘跡/信者が受洗後に犯した罪を悔い、司祭に告白することによって、イエス・キリストを通して神のゆるしを受ける儀式。

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 次回は、「十戒は私たちを映す鏡」をお届けします。


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