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宣教師ザビエルの夢 68

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第五章 律法の精神と現代日本への教訓

四、「偽証してはならない、むさぼってはならない」

●悪を癒す戦い
 ところで、律法やイエスの教えは、どうして人の内面の悪意まで暴いて見せるのでしょうか。このような姿勢に対して、悪に陥る者に一点でも良い点を見いだして彼を弁護するのが、助け手であり弁護人ではないか、と思われるかもしれません。そこで、次の本を例にとって考えてみましょう。

 先ごろ巷(ちまた)で流行した『平気でうそをつく人たち』(草思社)の著者スコット・ペックは、その著書において人間の邪悪な部分をあからさまにして見せました。「虚偽と邪悪の心理学」。この副題に魅せられて、手にした読者もいたかもしれません。政治家や官僚の虚偽が次々に暴かれて、世の権威が崩れていくように感じられた時期でしたから、彼らに“邪悪な人”を見いだし内心優越感に浸る庶民もあったかもしれません。

 しかしながら、キリスト者であることを公言してはばからない精神科医は、悪を描写することの危険性に注意を払いつつも、これを探究する真意を明らかにしています。それは「悪を直視できなければ、人間の悪をいやすことなど期待できない」ということです。また、「人間の悪をいやす戦いは、まず自分自身との戦いから始まるのがつねである」ことを、著者は認識しています。邪悪な人間の描写に紙幅をさきながらも、彼の結論は、苦悩する人間と対峙(たいじ)してきた実践家のものでした。

 彼はこう結んでいます。

 「悪の治療は(中略)個人の愛によってのみ達成しうるものである。みずから進んで犠牲となる者が必要である。治療にあたる人間は、自身の魂を戦場にすることを覚悟しなければならない。みずからが犠牲となって悪を『吸収』しなければならないのである」

 十戒を通してあからさまになる人間の悪を直視することは、また、人間の悪を癒(いや)す闘いに挑んでこられた神の決意の現れを読みとることでもあるかのようです。「うそをつくのは悪いことです」とはっきりとしかる親の姿には、子に対する強い責任感がうかがえます。それと同じく、「偽証してはならない」の戒めの言葉の響きには、人類の救いに対する神の責任感の強さを感じさせる響きがあります。

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 次回は、「牧者の営み」をお届けします。


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