2024.11.11 22:00
宣教師ザビエルの夢 67
アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)
白石喜宣・著
第五章 律法の精神と現代日本への教訓
四、「偽証してはならない、むさぼってはならない」
●虚偽と貪欲に注意
「嘘(うそ)つきは泥棒(どろぼう)の始まり」。皆さんもこんな言葉で親兄弟にいさめられた経験をお持ちでしょう。小さな悪の根を断たなければ、より大きな罪を犯してしまうことを恐れての言葉のようです。ところが、私たちが探ってきた十戒は、「盗んではならない」の次に「偽りの証言」を禁じています。ここでは、より重い罪の戒めから始めて、次第に軽い罪の禁止へと移っているように見えます。しかし注意深く考察してみると、事はより重大な内容を告げているように思えてなりません。
虚偽と貪欲(どんよく)、一見これは殺人や姦淫(かんいん)に比べて、軽い罪に見えます。現実の社会で殺人を犯せば重罪に処せられますが、人が貪欲だからといって処罰されることはありません。ところが、聖書は不義と貪欲、悪意を決して軽いものとは扱っていませんし、悪の行為が人間の内面を汚染していくようすを描いているようにも思えます。ですから、時には軽く見えるものも、一層邪悪で有害なものだったりすることを知らなければなりません。神から遠く離れた人間の虫ばまれた心の様相をも、十戒は明らかに示しています。さらに十の戒めを順繰りに追っていくと、神を見失った人間の行き着くさまを、順に描写しているように見えてきます。
イエスも「口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す。悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来るからである。これが人を汚す」(『新約聖書』マタイ福音書15・18〜20)と言って、戒めています。ここでも、人の悪意と偽証や悪口は、殺意や姦淫、盗みと並んで挙げられています。
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次回は、「悪を癒す戦い」をお届けします。