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心情開拓
心霊を育てる生活原則(183)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』〈200549日第3版発行〉より)

16 結実時代
(巡回師認定講座より 1984年4月18日)

▲李耀翰先生

み旨化され自分と国家を越えよ

 先生の「父母の日」のお話を、きのう初めて聞きました。その中に、「人間は信仰路程において、自分というものと、国家観念によってサタンになる」という内容がありました。

 神のみ旨の価値をもった者に国家観念が必要ですか。日本人とか、韓国人とか、ドイツ人とか、国家観念があってはいけないのです。

 み旨の道を行く路程において、知らずに自分を肯定する場合があります。例えば、愛されると自分が肯定されるのです。先生の前でずーっと幹部になると、自分というものが、生きてくる。自分がなくなってみ旨化しなくてはならない自分であるのに、教会長はこの教会の責任をもって、自分が出てくるのです。自分的な観点で見る、こうなるのです。日本的な統一教会、日本的な神学、これでは世界に通じないのです。これは怨讐(おんしゅう)です。先生は、それを今回、強調して話されました。

 本当の愛の世界は国家を超越する。本当の愛、あるいは神様の愛、神の願いに密接になると、自分がなくなるのは当然なのです。素直に、純真に、心情をもって成長しないといけないのです。

 日本人に7年間の期間を与え、「韓国語を学びなさい」と言われています。韓国人は、生まれながら学んだものを全部捨てて、韓国語を新たに学んで、み旨の言葉、「原理」の言葉と思って使わないと、復活ができない。ですから、韓国人もみ旨のために外国語を学んで、本当にその人のための復帰摂理において、少なくとも三つの言語を完成しなくてはならないと先生は言われています。先生は、本当に心情から、私たちのために話されました。それなのに、そのままにしておけば、国家的な皮をむくことができません。

 宣教師たちが韓国に来て初めて学んだのは、ヨハネ福音書の第316節の言葉です。その一節を学んで、学んだばかりなのに説教し始めた。ゆっくり、ゆっくり、その一節を一時間も繰り返した。ところが、全員が泣きながら聞いたのです。たったその一節の言葉で。「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」。理屈よりも何よりも、それを利用して、自分の言いたい内容を言ったのです。

 心情の世界において言葉はあまりいらないのです。いくつかの言葉で、心情のポイントを言えば、対話できるようになっているのです。たくさん知ることが、人間を心情的にするのではなく、言葉をたくさん知ると、かえって偽善者になるのです。少し知って、深いところで話せば、自分も本当に素直な、心情的な人間になるのです。それから、先ほど言った、み言(ことば)を心情の糧として自分の心情を刺激しながら暮らすと、その次はカイン・アベル関係です。

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 次回は、「カイン・アベル関係」をお届けします。


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