2024.11.15 17:00
心情開拓
心霊を育てる生活原則(182)
原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。
李耀翰・著
16 結実時代
(巡回師認定講座より 1984年4月18日)
神と私の関係を生命視
どんな仕事でも、人間は心情的にできるようになっています。私に合うとか、合わないとかということはないのです。自発的にやれば絶対にない。なぜかというと、女性であれば、みなお母さんにならなくてはならないのです。お父さんとお母さんの使命は何かというと、牧会者の使命なのです。それは創造主の使命です。ですから、何の仕事をやっても、創造的に、自発的に、情にあふれて暮らすようになっています。もちろん、素質ということはありますが、やればその面において、相当悟るべき、あるいは心情を刺激すべきものがあるのです。
先生は、労働しながら、「自分はこの世に、牢屋に入って一等を取るために来た」と思い、毎月、一等を取られた。何千人もいるので、それは本当に力を入れて、熱心にやらないと難しいのです。ヨセフも、17歳から30歳までの13年間、異邦の国で仕事をしながら、とても褒められました。
何を任せられても、自分の仕事のごとく、自分がそのために生まれてきたように、使命のごとくなす人は、本心で暮らす人です。観念で暮らす人は、何を任せても、自分の素質に合わないと言うのです。ですから、統一教会に来た人は、何をやらせても自分の素質にピッタリ合わなくてはならないのです。
それから、敏感になって、言わなくても相手をピンと知るような人間にならねばなりません。勘が鋭くないといけない。鈍い人はなぜ鈍いのかというと、方向性や目的、価値観がはっきりしないため、使命感が鈍いのです。み旨に徹した人は敏感で、人を透視する目をもっています。愛の強さ、愛着心とか、そのアンテナで人を知るようになっているのです。
そんなに敏感に分からなければ、対話の中で知る方法を知っていればよいのです。親子関係の因縁と、入教してのみ言(ことば)の体験と、アベル・カインの関係、これを知れば、その人の癖や本性を知ることができます。親に心配をかけたりする人か、み言を聞いて動機をもって、それをどれほどもち続けている人なのか。何が原動力となって、今いる人なのか。それを見れば、その人を知ることができます。
価値基準をもつと、必ず、価値観を失う可能性、崩れる可能性のある場面を通過するのです。崩した人は、中心性が弱い人で、環境に支配される人です。相当苦痛の中を通過しながらも崩さなかった人、信仰によって義を求めた人、苦痛を通じて義をもち続けた人、神と関係を結んでその関係を一度も崩したことがなく、自分に関することで重んじなかったことのない人を、義人というのです。それは死んでも義人という。イエス様の十字架の精神がそれです。死にながらも、神と自分との関係は、他人に不信されながらも、それをもって失わないことを示したのが十字架だったのです。
私たちは何を一番生命視すべきなのかといえば、「私たちの生命とは、神のものである」ということです。これ以上に価値あるものは地上にありません。このこと、この因縁の価値、それ以上に価値あるものはありません。天宙をあげるといわれても、その関係と交換できないのです。今、こういう結実時代において、自分は神のものなのです。
そして、本当に愛の心を高く、真剣にアンテナをもてば、解決できないものはないのです。
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次回は、「み旨化され自分と国家を越えよ」をお届けします。