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心情開拓
心霊を育てる生活原則(181)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』〈200549日第3版発行〉より)

16 結実時代
(巡回師認定講座より 1984年4月18日)

▲李耀翰先生

自分の心情の声を聞く祈祷

 では、どういう時、自分の本性の心情にマイナスになることをやっているのでしょうか。

 目で見た生活、耳で聞いた生活、それから血統を原因としての生活、これが結局、自分の本性を堕落させ、心情を発展させないのです。

 祈祷というものは、自分の心情の声を聞くためのものであって、口先でわいわい大騒ぎしながら、神様の耳に自分の話を聞かせるためのものではありません。

 「自分」を知って暮らせば、神様の創造した「自分」を聞いて暮らせば、神様のものになることは、絶対的に決まっていることなのです。しかし、心情にいつもプラスする生活を知らないので、霊人体を育てにくいのです。皆さんが今、霊人体がどれほど悟って、神の事情を実感するか、み言(ことば)をどれほど体恤(たいじゅつ)したかは知りません。その本人しか知りません。人が言っても仕方がないのです。

 先生に会う数カ月前に、釜山(プサン)で霊通者たちが私に、「あなたは素晴らしい方ですね」と言うのです。そう言われても、私が私をどうするか、自分が自分を知らないのに。あとになって、先生にクリスチャンとして私が一番先に会ったので、その人がそう証(あか)ししたのだと分かったのです。

 また、無視されたにしても、自分が自分の欠点を知って泣くほど、本当に胸が痛いほど、自分の価値を自覚したのならば、何でもプラスになります。皆さんの欠点を言っても、自分が欠点を悟った時より、悔い改めの動機にはなかなかなりません。自分の罪を知っていないのです。心情が鈍くなっているのです。

 ですから私たちは、神と因縁をもったその因縁を生命視して、それを失わずに、崩さずに、サタンに奪われずに、打撃を受けずに暮らさなければならないのです。自分の心情に希望の力を蓄えて暮らせば、自分の生活の中で価値を求められるのです。原動力をもてる。希望の力をもった人が、自分の生活の中で、もっと希望の力を得るのです。希望をもっていない人は、生活に打撃を受けてマイナスになったり、少しあったものまで奪われてしまうのです。たくさんある人は、たくさんもらえる。愛の世界では、そうであるという聖句があります。愛の本質をもった人は、苦痛があっても無視されても、かえって自分に価値を得るのです。

 結局原理的に説明すれば、み言によって、心情の本性に作用しながら、刺激させながら、み言の味を味わいながら、自分を喜ばせて暮らすのです。できれば、食事が三回あるから、三回ぐらいは喜ばせなくてはなりません。朝起きて、み言を悟って感謝。そして昼ごろ、午前中の仕事を通じ、み言的な秘訣を悟って喜ぶ。それから、午後の生活においても、その心情を基盤として、勝利したその結果をもって喜ぶのです。

 今は闘う時代というよりも、もうける時代、実る時代です。今は秋、結実時代。自分も蓄えて実る時です。

 それから、あまり自分の秘密を、自分の喜んでいる内容を話さない時です。絶対言わないで、隠して、自分の心情の力とならせるのです。何かをおいしく食べたなら、吐き出さないように、食べたものは秘密にしておかなければ力になりません。牛がはんすうするように、人間も言葉を学んで生活を続けるのです。そして、み言でもう一度消化しなくてはならないのです。それは、生活そのものをみ言的に考え直しながら仕事をしなくては、自分の心情の糧を得られないからです。それが皆さんの生活の中で、自分の心霊を育てる方法です。

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 次回は、「神と私の関係を生命視」をお届けします。


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