制作の舞台裏から 85
「小説・お父さんのまなざし」誕生の背景と創作の舞台裏

 約1年間にわたってBlessed Lifeで週刊連載された「小説・お父さんのまなざし」が43話で完結した。

 「読んだことがない」「そんな小説あったの?」というかたは、ぜひこの機会にお読みになってみてはいかがだろう。(お読みになりたいかたはコチラから)

 主人公は祝福家庭のお父さん。お父さんの家族へのまなざしと共にストーリーは進行する。
 妻のカオリは一人娘が6歳の時に病気で亡くなっている。本作は聖和家庭の物語でもあるのだ。
 聖和した妻も主要な登場人物の一人として随所でストーリーの展開に絡むというのも読みどころ。

 祝福家庭の家族の姿を描いた作品だが、作中の出来事はフィクションである。

 しかし感想を寄せた読者の印象によれば、大いに共感し、どっぷりと感情移入もでき、主人公の家族があたかも読者自身の家族であるような、あるいは隣の祝福家庭でも見ているような、そんな小説の舞台への臨場感を抱いて読んでくださっていたようである。

 「結構、はまってます」との声も聞かれた。

 妻を亡くしたある祝福家庭の男性は、完璧に主人公と自分をダブらせて読んでしまったという。

 自分の子育てや信仰生活と重ね合わせて読んでしまうといった感想も多く寄せられ、最終話には以下のような感想が届いた。

 「誰もが持つ親子の問題や友人関係などについて考えさせられたり、共感したりと毎週楽しみにしていました」(女性、60代)

 本作の軸は、主人公の一人娘、ナオミ(祝福二世)の成長の物語である。
 6歳で母を失うが、ナオミはその後も母カオリと“再会”し、“共に”生き、“母の影響”を受けながら成長していく。

 カオリはナオミを見守り、時に導き、必要に応じて協助もする。かといってそこに描かれている内容は、いわゆる、ちょっと怖い「オカルト」のような印象はみじんもない。

 それは、原理原則に従って地上と霊界が交わることが許された範囲で引き起こされる、家族の愛による小さな奇跡の積み重ねであり、心情の世界の物語である。

 「小説・お父さんのまなざし」のモチーフとなったのは、『グラフ新天地』にエッセーとして2006年に掲載された「お父さんのまなざし」(全10回)である。
 同エッセーのテーマとタイトルが、光言社の創作分野開拓の方針とリンクして小説の誕生に至った。

 作者は同一人物であるが、実話ベースと思いきや、作者の徳永誠氏は「作者の人生体験や思いが形になっていることは否めませんが、フィクションかノンフィクションかといえば、99%フィクションの小説であり、創作です」と編集部のインタビューに答えている。

 徳永氏のBlessed Life掲載のシリーズには、「小説・お父さんのまなざし」の他に「神様はいつも見ている~小説・K氏の心霊体験記~」がある。こちらは、99%実話に基づいて小説化された作品である。

 「リポート(体験記)」でもなく、「証し」でもない、家庭連合の信仰を持った人々、祝福家庭の等身大の姿を小説として描いてみたかったと徳永氏は語り、本作執筆の動機は、読者の創造本性を刺激することにある、と明かしている。

 徳永氏は「締め切りが神様だった」とも告白している。
 毎週毎週締め切りぎりぎりの入稿となってしまった。締め切り前日の夜中になってやっとアイデアが降りて(やっと浮かんで)くるということもたびたびだった、と作者は振り返る。

 「読者の感想に励まされて最終話にたどり着けました」

 これは本音だろう。

 「天苑宮・天一聖殿入宮」時代を迎えて、これからの家庭連合の歴史の中に多くの創作が生み出されていくことだろう。
 音楽や美術などの芸術はもちろん、文学作品や映像作品もしかりである。

 心情文化や孝情文化、天心文化を苗床とする無数の作品が誕生してくることは間違いない。

 光言社もまた、その前線基地の一角を担わなければならない。
 しかし出版物であれ、映像コンテンツであれ、一方通行によって生まれるものではない。
 生成と発展の原則は授受作用にある。

 民意が政治を導くように、創作の成果もまた、読者・視聴者の皆さまとの“化学反応”によるところが大きいと筆者は考えている(編集者ブログ参照)。

 光言社の出版物や公開情報に対して、ぜひともご感想・ご要望をお寄せいただきたい。
 そして共に神文化創造の担い手として取り組ませていただけるなら、それは天の父母様、真の父母様に対する最高の親孝行の証しとなるのではないか。

 私たちは、天の熱いまなざしの中で祝福家庭の四季を生きている、一つの家族、兄弟姉妹なのである。

(則)