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心情開拓
心霊を育てる生活原則(179)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』〈200549日第3版発行〉より)

16 結実時代
(巡回師認定講座より 1984年4月18日)

▲李耀翰先生

心情法則

 私たちが運動、仕事をするのは、そうしないと自分の体を健康に保てないからです。食べて、仕事をしないで、じっと座っていると自殺をする。足と手に、私たちの生命のポイントは全部結ばれています。だから、「歩け、出て仕事をせよ」と、こういうふうに神様は私たちを創造されたのです。

 結局、仕事、活動をするのも、自分の生命を本来の生命にするためであり、生命論から見ると、食べるために働くのではなく、お金のために働くのではありません。

 信仰者は、心情論から見て、何のために活動しているのか。自分の心情を本来の心情にするためです。自分を本来の自分に、自分を価値化するための責任分担です。これがポイントです。

 仕事のための自分とか、お金のための自分だとか、目的のための自分だとか、そうではなく、目的は「自分」が目的であり、神様の目的も「自分」です。

 神様は私たちを造るとき、それは絶対のみ言(ことば)で造られたので、私たちは、絶対、み言的に暮らさなくてはならないのです。造られた原則に違反すれば、すぐに体と心情がぶつかり、苦痛になるのです。

 「心情が平安である」というのは、心情法則に合致したときにそうなるのです。心情法則に違反した場合、必ず不安や、恐怖や、減少感を、敏感に感ずるようになっているのです。ですから、私たちは仕事を通じて自分を喜ばせれば力が出るようになっているのです。仕事を価値化して、自分の心霊を喜ばす。相手を中心として、相対によって自分を成長させる。これが私たちです。

 自分は何のためにこの責任を担当したのかと心配するよりも、正当に、正しく自分の価値を求めながら成長している自分なのか、本当に情にあふれて暮らしている自分なのか、生活を通して具体的に価値を発見して心情を刺激する自分なのか、これを知らなければ何もできません。これを知らない者はみな、偽者であり、人をだます人です。

 例えば、教会長がいるとします。自分が学んだ知識を人に教えるのみで、自分自身を伝道しないのです。これは偽善者です。ですから、今の宗教は全部偽善です。メシヤが来ても、それを知らないのを見れば、そうです。イエス様が来られても、ユダヤ人までも知らなかった。本当に自分の心情のために暮らしたのならば、説明を聞かなくても、イエス様をすぐ知るようになっている。良心をもっていれば、愛をもっていれば、愛の豊富な方を、すぐ知るようになっています。

 私たちの心情は、どれほど敏感でしょうか。
 お母さんたちは、子供には正しいことを言っても、子供の欠点を見て、自分は泣かず、「子供が悪い」と思っている母親は、偽善者です。自分が産んだ子がしくじったのに、なぜ涙がないか。自分の欠点を見て心配しない者は、これは偽善者です。自分に欠点、過ち、罪、癖がありながらも心配しない者、知っていながらもその癖を繰り返す人には、教育はできません。神様もどうすることもできないのです。

 神様が、「取って食べるな」とおっしゃったのはなぜか。自分に責任をもてということです。心情をもった者に対して、「心情に対して自分が責任をもて、心情にマイナスになることをやるな、したなら心情が死ぬ」と言われることを、エバに対して、「取って食べるな」とおっしゃったのです。責任をもっている者がそれを勝手に取り扱えば、絶対に死ぬ。私たちは、肉体の生命と霊人体の生命をもっていて、内外とも、自分の責任をもっているのです。

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 次回は、「自分が自分を救う」をお届けします。


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