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宣教師ザビエルの夢 62

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第五章 律法の精神と現代日本への教訓

二、「姦淫してはならない」

十戒は「憲法」
 さて、その律法の中でも独特のスタイルでまとまりを持ち、中心的な位置をしめているのが「十戒」です。一国の法律に例えれば、憲法のようなものでしょう。主題は「神を愛し、人を愛すること」の実現です。「神と人が愛で一つに結ばれる」ことが、国民生活の中心課題として差し出されているのです。その課題を実現すべく、いくつかの基本的に守るべき教えが、肯定、否定の両面から展開されています。具体的には「安息日を聖別せよ」「父母を敬え」「殺すな」「姦淫(かんいん)するな」「盗むな」「偽証するな」となるわけです。

 このような単刀直入の教えを明記した憲法が、果たしてどこの国にあるでしょうか。確かに「殺すな」についてみれば、なるほど、基本的人権をうたった日本国憲法にも合致しているといえるかもしれません。では、「姦淫するな」はどうでしょうか。未成年者との性的関係については法的規制を受けますが、それは憲法に規定されているわけではありません。また、ここでいう「姦淫」は、むしろ婚外の不適切な性的関係、つまりは不倫についての戒めという意味のほうが強いので、ますます憲法が規定するようなものとは距離があるように感じられます。

 この国では、不倫小説が売れるとすぐに映画化され一大ブームとなり、そのテレビドラマはゴールデンタイムで堂々と放映されます。かのイギリスの詩人ミルトンも、さぞかし嘆いているのではないかと思われますが、『失楽園』という言葉が1997年の流行語にまでなりました。そうなれば、「不倫は不況対策」とばかりに、実生活のスキャンダルも商品化して積極的に売り出されます。そのような社会では「姦淫するなと憲法でうたうべき」といった発想が浮かぶはずもありません。姦淫の女を告発し、石打ちにするような、かつてのユダヤ社会とは大きな違いです。

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 次回は、「姦淫は『憲法違反』」をお届けします。


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