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宣教師ザビエルの夢 60

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第五章 律法の精神と現代日本への教訓

一、「殺してはならない」

殺人は姦淫の実り
 イエスが、この律法の理解をアダムの家庭の問題にまでさかのぼっていることに、再び注目してみましょう。カインによるアベルの殺害を「第二の堕落」と言う人がいます。アダムとエバによって神の戒めを守れず堕落したのが第一の罪だとすれば、カインはそれを再びなぞり完結させたという理解です。その理解は、カインの罪がアダムとエバの罪と密接につながっていることを指し示しています。そして、人間始祖の犯した罪が神に対する不従順からくる愛の誤用、姦淫(かんいん)であるとするならば、「殺人」は姦淫と密接につながっており、姦淫の実りといってもいい犯罪行為なのです。最初に蒔(ま)かれた種が収穫の時を迎えているように、今日、人間始祖の時に蒔かれた人類の罪が毒麦のように世にはびこる時であれば、当然のことながら姦淫と殺人は同時に、広く世界に拡がり、人々を苦しめることになるのです。

 この国の人々が、少年犯罪、暴力、残虐な殺人行為を終わらせたいと真剣に願っているのならば、まず姦淫をやめなければならないのです。欲情をかきたて、不倫を容認し、家庭の破綻(はたん)を喜ぶ空気が世間に漂うかぎり、ねたみと殺意は消え去ることがないでしょう。

 今日、心ある宗教者たちが、あるいは独身を守り、あるいは結婚まで純潔を守ることを強く主張し、さらに健全な社会の基盤としての忠実な夫婦関係を強調し続ける根拠は、どうもここにありそうです。そして、律法に記された端的な教えの中にこそ、私たちは積極的に家庭の価値の高揚を推進する意味を見いだすことができるのです。

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 次回は、「イスラエル建国を支える律法」をお届けします。


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