2024.09.17 17:00
シリーズ・「宗教」を読み解く 333
イグナチオ・デ・ロヨラの霊性①
イエズス会の創設者イグナチオ・デ・ロヨラ
ナビゲーター:石丸 志信
16世紀、宗教改革期に登場したイエズス会は、プロテスタント改革に対してカトリック改革をけん引する新たな勢力だった。
それは、中世キリスト教の歴史を支えてきた修道院の伝統を相続し、時代精神によって刷新されたものだった。
「修道院の祈り」に続けて、これからしばらくは、このイエズス会の創設者イグナチオ・デ・ロヨラ(1491~1556)の霊性をたどってみることにする。
日本に初めてキリスト教を伝えた宣教師ザビエルは、イエズス会の創設メンバーだった。
彼の人生に決定的な影響を与えた人物がイグナチオだ。イエズス会の霊性の特徴を知ろうとすれば、まず、創設者の生涯とその精神を知らなければならないだろう。
イグナチオは、1491年の暮れ、ピレネー山脈の北西部、スペイン領内バスク地方の一貴族の家庭に生まれ、イニゴと名付けられた。
後に彼は、2世紀の殉教者アンティオキアの聖イグナチオに倣い、イグナチオと名乗るようになる。だが、それはまだ先のことだ。
「かれは26歳まで、この世の虚栄を追求する人間だった」(『ある巡礼者の物語~イグナチオ・デ・ロヨラ自叙伝』イグナチオ・デ・ロヨラ著 門脇佳吉訳・注解 岩波書店 2000年、15ページ)
イグナチオは、自叙伝『ある巡礼者の物語』の中で、その生涯をこう語り始める。
「特に名誉を獲得しようとの空しい欲望に激しくかられ、武術の修行に喜んで励んでいた」(同、15ページ)
若き日のイグナチオは、野望に燃えた誇り高き騎士の一人に過ぎなかった。
15歳で騎士見習いとなり、26歳でナバラ候に仕えるようになった。
その後の4年間は、ナバラ国独立派の反乱を抑え、フランス軍の侵攻を防ぐ戦いに挑み、多くの功績を立てていった。
イグナチオの勇猛さは、彼にとっての最後の戦いで明らかになる。
首都パンプローナに立てこもったイグナチオの属する軍は、フランス軍に囲まれて苦戦を強いられた。圧倒的に不利な状況を見て撤退に傾いたが、彼だけは最後まで諦めず、果敢に敵の前に立ちはだかった。
彼は、スペインの援軍が来れば、必ず勝てると確信していたようだが、敗北の色が濃厚だった。
この時とばかりに攻勢をかけるフランス軍の放った砲弾は、イグナチオの足を砕き、彼はその場に崩れ落ちた。
パンプローナの城塞もフランス軍の手に落ちた。瀕死(ひんし)の重症を負ったイグナチオは、敵の手で手厚く介抱されたが、捕虜としての価値がないとみなされた。
とはいえ、フランス軍は勇敢な騎士イグナチオに敬意を払い、彼を故郷に送り返したのだった。
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