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共産主義の新しいカタチ 29

 現代社会に忍び寄る“暴力によらざる革命”、「文化マルクス主義」とは一体何なのか?
 国際勝共連合の機関紙『思想新聞』連載の「文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜」を毎週水曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部による加筆・修正あり)

「マルクスとフロイトの融合」企てる学際的唯物論
マックス・ホルクハイマー②

▲マックス・ホルクハイマー(1895〜1973)

「批判理論」の構築
 1933年、ヒトラー政権の樹立でホルクハイマーは教授資格を剥奪され、ドイツを追放、社会研究所は閉鎖に。翌年、米国に亡命したホルクハイマーは、コロンビア大学で「社会研究所」を再設立します。米国でフランクフルト学派の牙城となったのが、実はコロンビア大学でした。

 フランクフルト学派の理論体系は「批判理論」と呼ばれ、もともと文芸評論的な性格を持っているのですが、この『啓蒙の弁証法』でも古代ギリシャのホメロスの叙事詩『オデュッセイア』とサド侯爵の『ジュリエット』を中心とした文芸評論という趣を保ちつつ、カントが提起した「啓蒙」の概念についての哲学を展開するアンソロジーというのが、この書の趣旨だと言えるでしょう。

 カントは楽天的な倫理道徳主義を説きますが、ホルクハイマーはこれを家父長的全体主義に導くとして退けます。

 これに代わり称揚されるのが、フロイトの精神分析以上に、「サド作品」で、キリスト教社会では衝撃と言えるものでした。『啓蒙の弁証法』ではホルクハイマーとアドルノが章ごとに分担して書かれたとされますが、『ジュリエット』の章はホルクハイマーが書いたといわれます。

 ショーペンハウアーのペシミズムから踏み込んでニヒリズムの哲学を打ち立てたニーチェもそうでしたが、西欧文明の限界と社会的価値観の転倒を企てたニーチェ以上に、「革命的」と評価を与えるのが、マルキ・ド・サドです。

 サド侯爵は「性道徳の廃棄」を企て実践した「狂人」として、大半を獄中で過ごしました。このサドを聖人視するのは、フランクフルト学派の他に、記号論のロラン・バルト、そしてポスト構造主義のミシェル・フーコーらがそうです。

 実を言えば、彼らは同性愛者でした。キリスト教道徳では伝統的に生殖と関わりのない性愛(婚姻外の性関係)は認めてきませんでした。こうしたキリスト教道徳を家父長制社会、つまりファシズムを生む権威主義社会を形成してきた元凶と見るホルクハイマーは、機械的快楽主義を説くサドを、それと戦い殉じた英雄に祭り上げたのです。

「家父長文化」破壊が文化共産主義の本質

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 かくして精神分析の影響下、ホルクハイマーは「権威主義的人間」を生む「家父長制社会」の担い手たる「家族の解体」、そして「体制順応的」人間が形成する「国家(権力)」への「反抗」こそが「正義」であるかのように暗い「破壊の哲学」を展開しました。

 これぞ「家族解体」「文化伝統の破壊」をもくろむ「文化共産主義」イデオロギーです。文化共産主義者にとり、このイデオロギーの浸透を阻むのは、「家族や文化伝統の守護」を国・民族の礎と見なす「保守思想」「宗教思想」という天敵なのです。

 ホルクハイマーは「体制順応的(=権威主義的)人間」の「生産装置」として、否定的に「家族」を見たのです。

 マルクスの階級闘争史観、そして文化・社会現象も「階級意識」で捉えるルカーチの方法論に呪縛された恣意(しい)的「決定論」ないし還元論と言えます。結果的に家族解体・文化破壊を促進させることがホルクハイマーをはじめとする文化共産主義者のもくろみなのです。

 中世最大の教父アウグスティヌスの「家族の平和は、社会の平和と深いつながりを持つ」という言葉にホルクハイマーは反対し、アウグスティヌスの規範意識は、「体制順応」を産む「生産装置」だと断定します。「肉体愛」「機械的快楽」を説くサドを「良心の呵責からの解放」の旗手として称揚するゆえんがここにあります。

 しかし、アウグスティヌスの規範意識は、欧米社会に限らず、いかなる伝統的文化においても該当する普遍的なものと呼べます。「家族の平和」に無理矢理「階級意識」を持ち込むのは、「家族解体」を「普遍化」「一般化」してしまう危険があります。

 個の「自由」を過度に尊重すれば「公正」が立たず、公の正義(公正)を求めれば個の自由は制限され、まさにカントの「二律背反」状態に陥るわけです。共産主義やナチズムなど全体主義では「自由」は極度に制限され、個人の国家・社会への奉仕が義務づけられます。一方、極端な「自由」への無制限の崇拝は結局、暴力やテロ、私刑の横行するアナーキズム社会を招来させます。「自由と公正の弁証法」なる机上の観念論に陥ったホルクハイマーの「批判理論」とは厳密なものでなく、気分ないしは独断的かつ恣意的なものです。それがはっきりするのは、「絶対的真理」と「相対主義」(としての懐疑論)とに関わるスタンスです。

 結局、「現存する文化の相対性を暴露し、その絶対的真理性を否定する。否定こそは、哲学において決定的な役割を演ずる」という「批判的否定」こそホルクハイマーの本質にほかなりません。すなわち「絶対的真理」という場合の「絶対」の拒否です。

 「絶対の拒否」は、裏返せば「相対主義」です。ところが、「絶対」を拒否することで「真理」も結局「相対的」なものにとどまり、「絶対的真理」に至ることはありません。それがホルクハイマー思想の難点なのです。

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「思想新聞」2024年8月15日号より

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