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宣教師ザビエルの夢 58

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第五章 律法の精神と現代日本への教訓

一、「殺してはならない」

「殺せ、殺せ」の叫びに抗して
 最近は日本でも、「殺人がありました」「たれ某(がし)が○○を殺しました」という声が、毎日のように聞かれます。また、「許せない。あのような残虐な犯罪者には死刑も当然だ」という声も、たびたび聞こえてきます。憎しみは憎しみを呼ぶものです。また、ヴァーチャル・リアリティーの世界でも、死闘を繰り広げるゲームは格好のエンターテインメント、青少年がこれに興じる姿は、日常のものとなりました。これではまるで、至るところから「殺せ、殺せ」というメッセージが発せられているかのようです。それに引き換え、「殺してはならない」という凛(りん)とした叫びは、一向に響いてこないように思えるのは、私だけでしょうか。

 恐ろしいのは、あまり「殺せ、殺せ」のメッセージが暗に発せられ続けていると、いじめや暴力はもとより、怒りにまかせた殺人も仕方あるまいという空気が流れることです。あげくの果てに、「人間だれしも弱い者である。殺意を抱かない者などいない。その秘められた思いを、彼は堂々と表に表しただけだ」、などと称賛する者が現れないとも限りません。

 「あなたは殺してはならない」と、選民を前にして神は言われました。石板に刻まれた教えは、律法の中で繰り返し述べられています。それは、いたって簡単明白な一言です。少年に対して「ナイフを持ち歩いてはいけない」でもなく、「キレてはいけない」でもなく、律法にあるのは、ただ「あなたは殺してはならない」です。この律法を諳(そらん)じることのできないユダヤ人はおらず、覚えていないキリスト者はいません。いかなる選民の良心にも、はっきりと刻まれている言葉です。

 善悪の観念が弛緩することにより、かえって悪のはびこる現代の日本においてこそ、選民の心に刻まれた律法は、はっきりと語られなければなりません。

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 次回は、「和解の要請」をお届けします。


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