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ダーウィニズムを超えて 75

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「ダーウィニズムを超えて」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 生物学にとどまらず、社会問題、政治問題などさまざまな分野に大きな影響を与えてきた進化論。現代の自然科学も、神の創造や目的論を排除することによって混迷を深めています。
 そんな科学時代に新しい神観を提示し、科学の統一を目指します。

統一思想研究院 小山田秀生・監修/大谷明史・著

(光言社・刊『ダーウィニズムを超えて科学の統一をめざして』〈2018520日初版発行〉より)

第七章 混迷する神なき現代物理学

(六)目的論を排除した無神論的現代物理学

 アリストテレス以来の目的論(テレオロジー)は、ダーウィンの進化論において徹底的に排除され、生物学のみならず、物理学においても排除された。かくして目的論は現代科学においてタブー視されるようになった。クォーク理論を構築してノーベル賞を受賞したマレー・ゲルマン(Murray Gell-Mann)は次のように言う。

 しかし、このように[目的論的な]原則は、その最も強い形においては、素粒子のダイナミックスと、宇宙の初期状態にも適用され、何らかの方法で、これらの基本法則の形を決め、必ず人間がもたらされるようにしていると考えられている。そのような考え方[目的論]は、私にはあまりにばかばかしく、これ以上議論する価値はないとしか思えない(*33)。(太字は引用者)

 現代科学において今日、目的論は完全に抹殺されたような状態にあると言っても過言ではない。目的論が敬遠されているのは、目的を立てたのは誰かということになって、神に通じるとみなされるからである。強い人間原理は目的論に迎合するものと見なされる。結局、無神論は弱い人間原理と結びつくことになった。

 ワインバーグは、アインシュタインの「宇宙について最も理解できないのは、宇宙が理解できることだ」という言葉に対して、「宇宙が理解できるように見えてくればくるほど、それはまた無意味なことのように思えてくる(*34)」と言う。そして、究極理論の中に、神の働きの何らかの痕跡が見つかるかと言えば、見つからないだろうと言い切ったのである(*35)。

 ホーキングは初めペンローズとともに、宇宙にはビッグバンと呼ばれる始まりがあったことを証明した。それにより、神による天地創造を信じている宗教者は、科学的証拠が得られたと大喜びしたのである。ホーキングはまた、われわれは究極理論を発見するとき、「神の心をわれわれは知るであろう」と言った(*36)。ところがホーキングは、一方で、「宇宙が本当に全く自己完結的であり、境界や縁をもたないとすれば、始まりも終わりもないことになる。宇宙はただ存在するのである。だとすると、創造主の出番はどこにあるのだろう?(*37)」と言って、宇宙から神を締め出してしまったのである。宇宙のランドスケープの提唱者であるサスキンドは、神による創造論に対しては、死ぬまで抵抗すると戦闘的な姿勢をあらわにしている。

 しかし、真の科学者たるもの、天地創造を含めて自然現象を、神によって説明することの誘惑に巻き込まれることはない。なぜだろうか? 科学者として私たちは、信じることへの切実な欲求、慰めを求める欲求が人の判断力を容易に曇らせてしまうことを知っているからである。慰めを与えてくれるおとぎ話の誘惑のわなに陥るのは簡単なことだ。だから、私たちは物理法則にも数学にも確率にも基づかずに世界を説明することに対しては、いかなる場合でも死ぬまで抵抗するのだ(*38)。(太字は引用者)

 現代の物理学は、まさに目的論を排除し、神を排除するという、大きな流れに飲みこまれているようである。しかしこれはダーウィンの進化論から始まった激流なのである。したがって、もしダーウィンの進化論の誤りが明らかになれば、この激流もその勢いを失わざるをえない。


*33 ポール・ディヴィス、吉田三知世訳『幸運な宇宙』日経BP社、2008年、406頁。
*34 スティーヴン・ワインバーグ、小尾信彌・加藤正昭訳『究極理論の夢』ダイヤモンド社、1994年、285頁。
*35 同上、274頁。
*36 スティーヴン・ホーキング、林一訳『宇宙を語る』早川書房、1995年、240頁。
*37 同上、200頁。
*38 レオナルド・サスキンド、林田陽子訳『宇宙のランドスケープ』日経BP社、2006年、472

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 次回は、「神と物理学」をお届けします。


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