2024.09.01 22:00
ダーウィニズムを超えて 74
アプリで読む光言社書籍シリーズとして「ダーウィニズムを超えて」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
生物学にとどまらず、社会問題、政治問題などさまざまな分野に大きな影響を与えてきた進化論。現代の自然科学も、神の創造や目的論を排除することによって混迷を深めています。
そんな科学時代に新しい神観を提示し、科学の統一を目指します。
統一思想研究院 小山田秀生・監修/大谷明史・著
第七章 混迷する神なき現代物理学
(五)ダーウィニズムに同調する現代物理学
宇宙のすべての現象を説明する唯一、絶対的な万物理論を追求するというアインシュタイン以来の夢は実現からどんどん遠ざかっているようである。他方、無数にあるマルチバースあるいは宇宙のランドスケープの中で、われわれは、たまたま偶然にわれわれが存在できる宇宙にいるという弱い人間原理は、行きつく所、SFの世界になりそうである。にもかかわらず、今日、弱い人間原理に向かう大きな崩れが起きている。
その背景にあるのは、目的論を否定し、生物は偶然的な数多くの突然変異の中から、生存に適したものが選ばれることによって進化したというダーウィニズムであり、その思想が現代物理学者の頭に強くしみ込んでいるからである。
その事実をサスキンドは明確に述べている。ダーウィニズムの二つの原理である突然変異と競争原理(自然選択)によって、生物の起源から魔法が取り除かれて、進化を純粋に科学的に説明する道が開かれたのであり、宇宙論もそうあるべきだと言う。
ダーウィンとウォレスが示した手本は、生命科学だけでなく宇宙論にも寄与した。宇宙の誕生と進化を支配する法則は、石の落下、元素の化学、原子物理学、そして素粒子物理学を支配するのと同じ法則のはずである。彼らは、複雑で知的でさえある生命が偶然や競争や自然の要因から発生することを示し、超自然的なものから私たちを解放した。宇宙論研究者も同じやり方をとるべきである。宇宙論の基礎は、宇宙のすべての場所で同一であるような客観的な法則でなければならない。そのような法則の出発点は、私たちが存在しているということとは全く無関係であるべきだ。宇宙論研究者に許される唯一の神はリチャード・ドーキンスの『盲目の時計職人』だろう(*26)。(太字は引用者)
ダーウィンは人間の眼のような複雑な見事な器官がどのようにして自然にできたのかを自然選択で説明したが、サスキンドは、彼が主張する「満たされたランドスケープ」によって、驚くべき微調整をしているわれわれの宇宙を説明できるという。
満たされたランドスケープは物理学と宇宙論に対して、ダーウィン学派の進化論が生物学に果たしたのと同じ役割を果たす。人間の眼球のような素晴らしい器官が普通の物質からどのように形成されたかを説明できるのは、これまで知られている中ではランダムな複製ミスと自然淘汰の組み合わせだけである。私たち自身が存在できるというこの宇宙の極端に特別な性質を説明するものとして知られているのは、満たされたランドスケープと、ひも理論が予言する豊かな多様性だけである(*27)。(太字は引用者)
そしてサスキンドは、「満たされたランドスケープ」はまさにダーウィニズムと軌を一にするものであると言う。
私の見るところ、エレガンスと簡潔さは、方程式として表される手前の原理の中にあることが多い。ダーウィンの理論を支える突然変異と競争の二つの原理に匹敵するほどエレガントな方程式を、私は知らない。本書で論じたのも、進化論と同じように強力で、簡潔な、組織化の原理である。私は、それがエレガントと呼ばれるに値すると思う。しかし繰り返すが、それを表す方程式は分かっていない。分かっているのはこのスローガンだけである。「可能性のランドスケープを実在のメガバースが満たす」(*28)。(太字は引用者)
サスキンドの次のような主張はリチャード・ドーキンス(Richard Dawkins)の無神論をほうふつとさせる。
すべてのうちで最大の疑問はどうなるのだろうか? 誰が、あるいは何が、何のために、宇宙をつくったのか? いったい宇宙に目的があるのか? 私は知ったかぶりはしない。人間原理を慈悲深い創造者の証拠と見なす人は、本書のページをめくることに全く喜びを感じない。宇宙の中で私たちのいる場所が、穏やかで親しみやすいものであるのはなぜかを説明するのに必要なのは、重力の法則、量子力学、そして大きな数の法則(統計)と結びついた豊かなランドスケープ、たったそれだけである(*29)。(太字は引用者)
スティーヴン・ワインバーグも、ドーキンスの友人であって、ドーキンスに同調する一人である。ワインバーグは言う。
宇宙に意味があるとしたら、それは何なのか? 太陽よりはるかに巨大な星が、100億年以上も爆発的に膨張し続けている宇宙で生まれては死んでいる。そんな広大な宇宙を目にしたら、それがちっとも目立たない恒星をめぐるちっぽけな惑星に住む人類に意義を与えるように作られたとは、とうてい思えないのだ(*30)。
アレックス・ビレンキンは、インフレーション理論はダーウィンの進化論に似ていると言う。
しかし、社会背景的な理由とは別に、インフレーション理論の長期間にわたる人気はそのアイデア自身が備えている魅力とパワーから来ているのです。いくつかの点で、インフレーション理論はダーウィンの進化論に似ています。どちらの理論も、以前には説明が不可能だと考えられたものを説明しました。科学的な探求の領域がこうして大きく広がったのです。どちらの場合も、説明は非常に説得力があり、そのほかの無理のない代案は出ていません(*31)。(太字は引用者)
スティーヴン・ホーキングも、われわれの宇宙は進化論的なランダムなプロセスから生まれたと言う。
もし宇宙が本当に空間的に無限大であれば、あるいはもし無限に多くの宇宙があれば、なめらかかつ一様なかたちで出発した大きな領域も、たぶんどこかにいくつかあっただろう。これはタイプライターを叩きまくる猿の話にいくぶん似ている——打ち出されたものの大部分はちんぷんかんぷんであろうが、ごくまれに、全くの偶然でシェイクスピアのソネットを一つ打ち出してしまうかもしれない。宇宙の場合もこれと同じことで、われわれの住んでいるこの宇宙が、たまたま偶然になめらかで一様だったのだろうか? これは一見、ありそうもないことのように思える。というのは、こうしたなめらかな領域は、カオス的で不規則な領域にくらべれば数がはるかに少ないからだ。しかし、なめらかな領域の中にだけ銀河や星が形成され、「なぜ宇宙はなめらかなのか?」という問いを発することのできる、われわれに似た複雑な自己複製する有機体が発達するのに適した条件が存在すると想定しよう。これはいわゆる「人間原理」の適用例であるが、この原理は次のように言い表わせる。「われわれが存在するがゆえに、われわれは宇宙がこのようなかたちであることを知る」(*32)。(太字は引用者)
以上、見てきたように、現代物理学の動向はダーウィニズムに同調する方向に向かって、大きく崩れを打っていると言えよう。
*26 レオナルド・サスキンド、林田陽子訳『宇宙のランドスケープ』日経BP社、2006年、28~29頁。
*27 同上、474頁。
*28 同上、507頁。
*29 同上、507頁。
*30 ミチオ・カク、斉藤隆央訳『パラレルワールド』NHK出版、2006年、420~421頁。
*31 アレックス・ビレンキン、林田陽子訳『多世界宇宙の探検』日経BP社、2007年、116頁。
*32 スティーヴン・ホーキング、林一訳『宇宙を語る』早川書房、1995年、176~177頁。
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次回は、「目的論を排除した無神論的現代物理学」をお届けします。