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心情開拓
心霊を育てる生活原則(172)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』〈200549日第3版発行〉より)

15 苦痛の中での信従

▲李耀翰先生

苦痛は神の愛である

 苦痛は祝福であり、苦痛は神様の愛です。また、苦痛は神様の秘密が伝達されるみ業でもあり、私たちはこの苦痛をまず私の個体から探し出さねばならないのですが、その私の苦痛とはいったい何かというならば、それは善悪の戦いにほかなりません。すなわち、み言(ことば)を通して知った苦痛を正しく把握できる人こそ、真の意味で自己の十字架を尋ねあてる人です。

 私たちにとって十字架とは何かというと、衣食住や貧困、病気等は、一般の人々も経験していることであり、これらの中で何かを発見したとしても、それは十字架とはいえないでしょう。私たちの血統の中には、今堕落性が渦を巻いていますが、何が私の本性の怨讐(おんしゅう)であり、何が私たちの平和を遮るものか、その堕落性の根源を正しく探求し、それをつかみ得た人こそが、自己の十字架を発見した人です。自己の十字架を正しく負えないがために、多くの人々が五里霧中の苦しみを受け、その苦痛の代価を贖(あがな)いきれず、生命の復活もできないまま、ただ歳月を空しく送っている事実を否定することはできません。

 二番目は、言葉の本質ということです。神様は言葉で創造の業をなしましたが、その対象が堕落したのです。ですから、愛の実体であるアダムの家庭を追放しなければならなかった神様の苦痛を知らずに語る場合です。

 三番目は、イエス様を誕生なされた苦痛です。ひとり子イエスをこの世に誕生させた神様の摂理は、マリヤという処女の体を通して、イエス様を誕生させました。このようにして誕生されたイエス様を死へ追いやらねばならなかった神様の苦痛、また、アブラハムが百歳近くになってやっと得た息子のイサクを、刃で裂いて燔祭(はんさい)の犠牲に供えるよう試練される神様の苦痛、このように思いもよらぬほどの無慈悲なる出来事の、理解に苦しむ神様の苦痛があったのです。

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 次回は、「いばらの中に臨在された神」をお届けします。


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