2024.08.28 17:00
共産主義の新しいカタチ 27
現代社会に忍び寄る“暴力によらざる革命”、「文化マルクス主義」とは一体何なのか?
国際勝共連合の機関紙『思想新聞』連載の「文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜」を毎週水曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部による加筆・修正あり)
「愛と性」切り離す「動物的還元主義」
ジークムント・フロイト➁
死への本能から世界のニヒリズム化
わが国のフロイト研究の第一人者の故・小此木啓吾博士は、フロイト思想の本質を「①生物としてのヒトの無力さ②タナトゥス(死の本能)に対抗するエロス(生の本能)の営み」を挙げ、「死に対する生の営みとしてとらえる根源的認識こそ、フロイト思想のエッセンス」と指摘します(『フロイト思想のキーワード』講談社現代新書)。
実はこのタナトゥスを認めれば、大変なことになります。動植物の世界では、本能的に「自殺」「自滅」する個体はほとんどありません。「人間が自殺を考える唯一の動物」とする見方も一般的です。暴力や犯罪・戦争が、「タナトゥス」の現れだとする見方もあります。しかし、「本能」となれば、暴力の当事者、加害者にとっては正当化するための根拠になってしまいます。この思想では、無法状態としてのアナーキズム社会を招来させてしまいかねません。
生物学的に「死ねば全てが終わり」の認識から、自暴自棄的に「生=エロスを享受しよう」という「刹那的な人生観」を大量生産します。フロイトにとり「歯止め」「タガ」となっているのが宗教的道徳観念で、それを取り払えば、刹那的人生しか残りません。
これがフロイト思想の「科学的還元主義」と言われるゆえんであり、人間はさまざまな背景や人生観を持った存在ではなく、「生物学的な種」に過ぎず、芸術や哲学における人間の高尚な営為も原始的本能の昇華物にすぎぬという価値認識は、恐るべきことに「世界のニヒリズム化」に寄与しているのです。
功罪相半ばするフロイトの思想
またフロイト思想に今日的意味で重要な業績があることも否定できません。
第一に、人間の無意識の領域を考える上で、「精神分析のキモ」たる「エディプス・コンプレックス」など、「親子関係」を重要視したこと。例えば犯罪心理分析や矯正施設の現場で、必ずと言っていいほど「社会環境」よりも「家庭環境」を重要視します。それまでは、家柄とか、階級や社会階層が問題となっても、個々の家庭環境にメスが入ることはありませんでした。
第二に、「汎性欲論」。「汎性欲」とまでいかずとも、「愛と性」が、人生において最も重要なものと明らかにしたことです。これはカトリック聖職者に代表されるように、多くの宗教家にとってはまさに「タブーの領域」でした。これを扱ってきたのも、文学の領域でした。単に恋愛を綴ったものではなく、人間の究極的な欲望の象徴として描いた初めての作品は、恐らくゲーテの『ファウスト』でした。それを手に入れるためならば、悪魔に魂を売り渡してもかまわない、というファウスト博士の野望を描いたこの作品は、きわめて現代的なテーマであることが分かります。
とはいえ「愛と性が重要」と言いながら、フロイトはあくまで分析を主眼に置き、明確にその治療法・解決法を示しません。なぜなら、それは彼自身が破壊しようとした「宗教・道徳の領域」にほかならなかったからです。ここから逆に、フロイト以降、特に左派の弟子たちは性を愛と完全に切り離し、「性の解放」思想に変貌していくのです。
第三に、「夢」に関し「無意識の世界」を垣間見るカギとして重要視したことです。同じ心理療法でも、パブロフ、スキナー、ワトソンらの行動科学的アプローチからすればナンセンスなのが、「夢」という世界です。心情的に科学的唯物主義者だったフロイトは、この「夢」と霊的(精神)世界との結びつきを否定するも、ユングは逆にしっかり結びつけました。
このためユングは「オカルト主義者」と見なされやすいのですが、「臨死体験」の報告にもあるように、死後生や霊魂不滅、精神世界を認める人々にとって、夢はそうした「彼岸に通じる道」と解されます。
愛の規範性の尊重と性と生命の神秘
フロイトは晩年、ユダヤ教とモーセについて研究し、モーセの強烈な家父長的権威と、権威主義的だった自分の父親にオーバーラップさせました。ユダヤ教ラビ(祭司)の家系に生まれたフロイトでしたが、ユダヤ人が迫害される境遇に置かれたのはつまり、「モーセがユダヤ教をつくったから」とその責任をモーセ一人に帰してしまいます。
『旧約聖書』によれば、モーセは神からいわゆる「十戒」を授かります。この「盗むなかれ、姦淫するなかれ…」という「タブー」はキリスト教徒やユダヤ教徒でなくともよく知られています。「姦淫」「姦通」とは何でしょうか。「一切の性的接触・関係を絶て」ということを意味するのではありません。妻あるいは夫以外に性関係を持つことです。逆に言えば「まっとうな家庭を築け」という意味にほかなりません。
しかし、「性の解放」からすれば、むしろこのモーセの「十戒」に反抗し、「破戒」することに意義を見いだします。ここに健全な「結婚」「家庭」という概念は、「死語」に追いやられ、今や「事実婚」「多様な家族」へと相対化されてしまうことになりました。
さて、洋の東西を問わず、結婚式というものが神の前で誓いを立てるセレモニーであり続けてきたように、宗教的観点と切り離せないものでした。また過ちを犯す存在だった人間を、良心や善の方向に導く杖として「規範」は働いてきました。
世の中に秩序があるように、「愛の世界」にも秩序があって初めて幸福な生活を享受できると考えるべきではないでしょうか。「性の解放」を批判・克服するには、宗教的基盤に根ざした「愛の規範」思想によるべきなのではないかと。
フロイト思想の超克を考える上で、渡辺久義・京大名誉教授が『意識の再編』で「性の神秘」を論じたように、生命がなぜ尊いのか—この答えは「性と生の神秘」を解さずしては絶対に出ないでしょう。
★「思想新聞」2024年7月15日号より★
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