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宣教師ザビエルの夢 56

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第四章 ユダヤ・キリスト教の真髄

六、「これらのことばを心に留め、語らなければならない」

みことばの祭儀
 伝統的なキリスト教では、毎週日曜日を主の日としてミサが行われ、それが信仰生活の中心に据えられています。週の初めの日、信者らは教会に集い、イエス・キリストの死と復活を記念し、神のみ業(わざ)を思い起こすのです。その典礼を支える二つの柱の一つは、聖書の朗読です。旧約聖書、使徒書、福音書の三つのうちから読まれます。それは、福音書に描かれたイエス・キリストの出来事を頂点として、旧約聖書の出来事はそのかたどりと受け止め、使徒たちの記録は福音の全世界への展開として、三つを有機的に連関させています。それでキリスト信者は、知らず知らずのうちに救済史の広がりを感じ取ることができるのです。

 「みことばの祭儀」と呼ばれるミサの前半部で、聖書の朗読を通して「神のみことば」を聞いた信者らは、イスラエルの民の声に合わせて讃美を歌い(◆注14)、後半部分では「キリストの体」を頂きます。こうして「神のみことば」をその身に受けた選民は、みことばの受肉ということを、そこはかとなく実感しながら、この世に派遣されるのです。

 こうしたキリスト教の典礼の源をたどっていくと、やはりユダヤ教の典礼に行き当たります。安息日に人々の集まる会堂(シナゴーグ)はまさに、トーラーの学びの家でした。

 トーラーはふつう律法と訳されますが、内容的には聖書の最初の五つの書物(創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記)を指します。それらを読めばすぐ気づかれるでしょうが、律法は決して冷たい法律条項ではなく、むしろ幅広い表現形態をもつ「教え」なのです。ですから、モーセが神から頂いた教え(トーラー)は、会堂での学びを通してユダヤ人の生活の中心となってきました。ユダヤ史の専門家であるヘブライ大学教授S・サフライ氏によれば、民全体がトーラーに忠実に生きるという考えは、バビロン捕囚からの帰還後から徐々に定着し始め、イエス当時にはすっかり一般化していたといいます。


◆注14:讃美を歌い/旧約聖書の詩編の一部を唱和すること。

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 次回は、「トーラーの三つの意味」をお届けします。


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