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日本人のこころ 89
藤原道綱母『蜻蛉日記』

(APTF『真の家庭』310号[20248月]より)

ジャーナリスト 高嶋 久

『源氏物語』を生んだ日記
 紫式部がモデルの大河ドラマ「光る君へ」が放映されています。平安時代の男たちの権力闘争や女たちの生き方が、今の私たちにも理解できるように描かれていて、時代背景から心配されていたほどの低視聴率ではないようです。

 『蜻蛉(かげろう)日記』は日本固有の女流日記の先駆けで、約30年後に書き始められた『源氏物語』など、多くの文学に影響を与えたことが知られています。平仮名を手にした教養ある女性が、最初は夫に対する不満や嘆きをつづりながら、次第に自身の心情や経験を客観的に省察するようになっていくので、文学の誕生の歴史としても貴重で興味深い作品です。

 著者の名はあったのですが、当時の女性の常として記録に残されておらず、藤原道綱の母とのみ記されています。夫は、ドラマで権謀術数の主のように描かれている藤原兼家で、道長の父です。娘の詮子(あきこ)が円融天皇の中宮になり、生まれた皇子が一条天皇になったことで摂政から関白へと出世していきます。ドラマの前半では、そのためにかなりあくどい駆け引きが描かれていました。権威の中心である天皇との血縁を足掛かりに権力を得ていくのが当時の政治の核心でした。そのため、同じ藤原氏同士でも対立を繰り返していたのです。

 一方、藤原道綱母は深窓の令嬢として育ち、漢文や和歌の素養の上に三大美人の一人と評判になるほどの女性で、兼家の関心の的になったのです。当時、兼家には別に道長を産んだ妻・時姫がいて、さらに藤原道綱母との間に子供が生まれても他の女性の元に通うような男性でした。プライドの高い彼女は、当然ながら嫉妬に狂うようになります。

 当時は男性が女性の元に通う「通い婚」が普通でしたから、権力欲が旺盛な男性はどうしてもそうなります。今ですとスキャンダルとして社会的制裁を受けますが、当時はそれだけ女性の地位が低かったのです。その代わり、生まれた子は妻の家で育てるので、その家の影響を強く受けるようになります。もっとも平安時代後期になると、次第に夫婦が同じ家に暮らすようになり、鎌倉時代からは一夫一婦制が一般的になります。それが人間の感情としても自然だったからでしょう。

 気になる女性がいると、男性はまず和歌を送ります。「音にのみ聞けば悲しなほととぎす こと語らはむと思ふこころあり」で、美しい姫がいるようなので、どうか交際してくださいという意味。率直な表現ですが、恋の歌としては上品でなく、無雑作な歌です。それを送られた女性だけでなく、取り巻きの女官たちがわいわい評価するサロンのようなものがありました。娘を高貴に育てるため、教養ある女性を集めるのが上流貴族の習いだったのです。

 そこで返した歌が、「語らはむ人なき里にほととぎす かひなかるべき声なふるしそ」で、こちらには、あなたの相手になるような人はいません、というつれない返事。もっともこれが恋のさや当てで、こうした歌のやりとりを重ねていくうちに、男性が女性の家を訪ね、関係を持つようになっていくのです。

 ですから、『蜻蛉日記』を理解するには、権力闘争に明け暮れる男性と、浮気な彼との関係に揺れる女性の二つの人生を知る必要があります。それに最適なのが田辺聖子の『蜻蛉日記をご一緒に』(講談社文庫)で、大河ドラマもよく分かるようになります。

▲『蜻蛉日記をご一緒に』(講談社文庫)

夫婦といっても他人同士
 『蜻蛉日記』の全体を手っ取り早く知るにはNHKまんがで読む古典の『更級日記・蜻蛉日記』(集英社)がおすすめ。若い女性の感性で、大河ドラマのように今の私たちにも理解できるように描かれています。今、世界で評判の日本のアニメも古典が原作のものが多く、それが文化の蓄積なのでしょう。

 道綱母の歌で百人一首に採用されたのが、有名な「歎きつつひとり寝(ぬ)る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る」で、訪ねてこようともしない不実な夫をなじる内容です。

 これに対して兼家は「げにやげに冬の夜ならぬ真木の戸も 遅くあくるはわびしかりけり」と返します。言われる通りだが、訪ねても戸を開けてもらえないのもつらいよ、という意味で、すねた道綱母は何度も彼を追い返していたのです。兼家に感心するのは、横暴ながら手まめで、ユーモアのセンスがあるところです。そんな性質が道長にも引き継がれ、人に好かれるかわいげのある男性に育ったのでしょう。欲望むき出しだと男性にも好かれませんから。

 最近、若い女性たちとの懇談会に出た妻が一番聞かれたのは夫との関係で、妻は「夫婦といっても他人同士なのだから、それを忘れないことね」と答えたそうです。他人同士が一生をかけて一つになるのが夫婦なのは、今も昔も変わりません。生物学的に言えば、より良い遺伝子を残すためですが、人間にとってはそれによって心をどう成長させるかが問題です。非婚が増えているのは、そんなややこしいことより、一人で生きる方が楽だと思うからでしょう。

 しかし、人間の妙味は結婚し、子供を得てから始まると言えます。人類が繁栄してきたのも、その喜びを知ったからで、人間を創造した神にとっても予想外のことだったのではないでしょうか。昔、「老いては子に従え」と言われましたが、今は「老いては妻に従え」が実感という男性も多いのでは…。

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