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日本人のこころ 88
阿部謹也『自分のなかに歴史をよむ』

(APTF『真の家庭』309号[20247月]より)

ジャーナリスト 高嶋 久

「社会」と「世間」
 ドイツ中世の民衆史について研究した社会学者で一橋大学学長を務めた阿部謹也氏は、日本には「世間」はあったが「社会」はなかったという発言をし、「世間学」を提唱して話題になりました。阿部氏によると、「世間」とは、日本に古くから存在する関係性を指す表現であり、西欧でいう「社会」とはかなり異なります。

 キリスト教が民衆に浸透し始めたヨーロッパ中世では、神の前の個人という考えが広まります。その尊厳ある個人が自由な意思に基づいて集団生活を営むのが社会で、キリスト教を基盤に西欧民主主義が発展してきました。

 ところが、多神教的な文化の日本人には個人の前に世間があるので、いつも世間の考えや空気を気にしながら生きています。不祥事を起こすと「世間をお騒がせして申し訳ない」と言い訳をし、その前に自分個人の意見を言うことは控えがちです。

 もっとも世間は歴史的、文化的な日本人の生き方なので、それをなくすことはできません。そんな日本人が近代合理主義の個人を前提としてつくられた社会で生きていくには、世間と社会との調整を図ることが必要になります。

 例えば、被災地の復興やまちづくりを行う際、住民一人ひとりがどう考えているのかを集約していく合意形成が重要になります。それを飛び越えて大きな計画を示しても、多数の賛成と協力を得ることは難しいからです。合意形成に必要なのは、自分の意見をもてるよう情報を提供し、一緒に考えることです。

 50前に母の介護のため実家に帰り、地域活動にも参加するようになって感じたのは、職場のように上位下達式に物事は進められないことです。みんな対等の立場で参加しているので、それぞれの声を聞きながら、意見をまとめていくしかありません。時間はかかりますが、それを無視すると、平等が原則の共同体は壊れてしまいます。

 けれども、それをしながら感じたのは、自分という人格は個人に閉じたものではなく、地域や周りの人たちに開かれたものだということです。周りとの人間関係から、私という人格が形成されているとも言えます。

 阿部氏はゼミで、よく学生にそれぞれの生い立ちを語らせていたそうです。すると彼らは、語りながら自分がどんな世間で育ってきたのかに気が付いていき、そんな経験をした学生は、社会に出ても人間関係がスムーズで職場になじみやすくなるとのことでした。個人や個性を強調される教育を受けてきた若い人たちは、むしろ世間のことを忘れているのかもしれません。

自分のなかを深く掘る
 阿部氏が自身の生育や学問の歴史を語りながら、私たちにとって歴史とは何かについて書いているのが『自分のなかに歴史をよむ』(ちくま文庫)です。

▲『自分のなかに歴史をよむ』(ちくま文庫)

 1935年に東京で生まれた阿部氏は、早くに父を亡くし、中学時代にドイツ系のカトリック修道院で暮らした経験から、ヨーロッパと日本の社会の違いに疑問を持ち、やがて西洋中世史の研究を志すようになります。そしてドイツ留学によるドイツ騎士修道会の研究などを経て、日欧の社会構造の違いを探究したのです。

 同書で阿部氏は「学問の意味は生きるということを自覚的に行う、つまり自覚的に生きようとすることにほかなりません」とし、「学問の第一歩は、ものごころついたころから現在までの自己形成の歩みを、たんねんに掘り起こしてゆくことにある」と述べています。また、「過去の自分を正確に再現することだけでなく、現在の時点で過去の自分を新しく位置づけてゆくことなのです」とも言っています。

 自分は生まれてから今までの時間の集積体であり、もっと大きく言えば日本の歴史が始まってからの文化の影響を受けて、今ここにいるわけです。そう考えると、歴史は自分に深く関係しており、受験勉強のように年代を覚えればいいということではなくなります。阿部氏は恩師の言葉として、「解るということはそれによって自分が変わること」とも言っています。それだけ真剣なものでないと、解ったとは言えないのでしょう。

 地域に暮らしていいことの一つは、祖父母や父母のことが語られたり、目に触れたりすることです。年配の方から祖父の話を聞き、神社の寄付者の銘板に母の名前を見つけると、自分がこの地域の中で生きているのを実感します。今、仲間と大型農機を使った農業をしていますが、それも父が50年前に田んぼを大きく整備してくれたおかげです。家業というものはどれもそういうものでしょうが。

 地方では少子高齢化が進み、耕作放棄地の拡大で地域は崩壊の危機に瀕しています。進学や仕事で故郷を離れた人のわずかでも、定年後は故郷に帰り、地域のために働くようになれば、日本の国土は維持されるのではないかと思います。そのための支援制度も必要ですが、大切なのは自分のなかに家族や地域の歴史を感じ、それを確かめながら、次の世代に引き継いでいくことでしょう。そうしてこそ地域が持続可能な共同体になるのです。

 農作業や通学路の花の植栽など自然を相手に作業していて感じるのは、環境も私という人格と重なり合っていることです。これはおそらく狩猟採取の縄文時代からの日本人の自然観ではないか、と思うと楽しくなります。

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