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心情開拓
心霊を育てる生活原則(169)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』200549日第3版発行〉より)

14 幸運な者、ヨセフ

▲李耀翰先生

悲しみに出遭っても大きな希望をもつ

 神は悲しみの神でいらっしゃいます。御自分の願いをこの地上に成就させることができず、人間の僕(しもべ)となって、昼夜仕えてこられました。人間が罪のために悩むとき、その罪の荷を引き受けてこられたのであり、時代ごとに個人と家庭を立てて、御自分の国をつくりあげるために、不信を受けつつ、悲しみと恨みの道を歩まれたお方です。

 私たちの短い信仰の道程の中においてさえ、神は私たちのためにどれほど苦労されたでしょうか。この世からつまはじきにされる道だということを覚悟の上で入ってきた私たちではありますが、私たちが途中でためらうとき、神は私たちに冒険をさせ、決断を下させたのではないでしょうか。御自分は高貴な道、永遠なるものをもっておられ、人間にそれらを与え、連れていこうとされる立場であるにもかかわらず、私たち一人一人に懇願しながら、そして私たちを慰めながら、励ましながら導いていかなければならない神ではなかったでしょうか。このようにつらい悲しい道を行かれた神であるがゆえに、苦労の、悲しみの道を行く人と共におられる神でいらっしゃるのです。悲しいことに出遭っても、大きな希望を抱く者を見るとき、神は彼と共におられるという事実を、ヨセフの路程を通してはっきりと知ることができます。

 私たちは、わずかの苦労、悲しみでも、自分の弱さを弁明し、自分を支持する同調者を求めようとしますが、ヨセフは心を強くもって、自分の責任を探して進み行きました。私たちが恨み言を言うとすれば、その背後におられる神をより悲しませてしまうことになるでしょう。私たち以上に、悲しみと恨みの心情を抱いているお方がいらっしゃいます。「苦しい」と言うのをやめましょう。私たち以上に、無念な思いで苦労されているお方がいらっしゃるのです。

 原理的に見れば、だれもがヨセフのような道を行かなければなりません。だれもが、原理の道を行くようになっています。神が人間に対する願いがあり、計画があり、私たちが行くべき原理の道を与えておられるのです。

 私たちはどのような峠を越えて、この道に入ってきたのですか。私とは、神が共におられることのできる峠を越えた私でなければならないのです。過ぎた日の苦労したことを、今になって後悔する人はいないでしょう。純真な気持ちでみ言(ことば)に従った私たちですが、ちょっとした苦労を「嫌だ」と言って士気を落としてしまい、戻ろうとしても恥ずかしく、進むには誇るべきものがなくて、悩んでいるという人はいませんか。「このような落伍者になる人は、私たちの周囲にはいない」とは言えないのです。「信じたのは、現実を知らない愚かさだったのではないか」と悩む人もいます。自分よりも良い生活をする信仰の先輩を見て、その人の背後にある天との関係を見ることはしないで、打撃を受ける人もいます。カインは、アベルと天との関係を見て寂しく思い、打撃を受けました。

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 次回は、「役事は悲しみを神と共に味わってこそ」をお届けします。


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