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宣教師ザビエルの夢 54

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第四章 ユダヤ・キリスト教の真髄

五、「私はあなたの神、主である」

神の前に開かれた人間
 私の尊敬するユダヤ人の一人に、ヴィクトール・フランクルという精神医学者がいます。ナチス・ドイツに捕らえられ、アウシュビッツ強制収容所に送られながらも、生還した人物です。彼はただ生還しただけでなく、人間の極限状態における精神の動きを自ら探究し、戦後世に発表した人物でもあります。その体験を記した著書『夜と霧』は、人間の崇高な魂の記録でもあります。「フランクルは、どうしようもない苦難に直面しても、いや死の淵に直面してさえも、生きることの意味と目的を見つける人間の能力に対する信念に支えられて、この厳しい試練に耐えたのであった」と、心理学者のシュルツは書いています。(D・シュルツ著、上田吉一監訳、『健康な人格』川島書房、1982年)。そのフランクルが収容所に送られたその日に体験したことが、私に今回のテーマを想起させました。

 収容所に到着した彼は、当然のごとく、すべての所持品を取り上げられました。ライフワークであり、最初の著書となるはずの草稿をも取り上げられたとき、彼はわが子でも失ったような喪失感に打ちのめされました。ところが、そのときあてがわれた上着の、ポケットに入っていた一片の紙切れが、彼を生かすことになったというのです。

 それは、すでにガス室に送られた囚人の着ていたもので、この紙切れもその人がひそかに握り締めていたものなのです。その紙切れは、「あなたは、心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてあなたの神、主を愛さなければならない」と記された、ヘブライ語祈祷書の1ページでした。

 この言葉は、その時のフランクルには、「直面しなければならないものが何であれ、苦悩であれ、死であったとしても、生きることに対してイエスと言え」という命令に聞こえたのです。(前掲の書)

 ポケットに入っていた、一枚の紙切れに記された祈りの言葉から発せられたメッセージは、すでにむなしく抹殺された人間の魂を貫き、新たにこの世の地獄に送り込まれた人間に、生きる決断を起こさせるものとなったのです。「それでも人生にイエスという」。これが、死の陰の谷を越えて、彼の後世を導く絶対命令となるのです。

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 次回は、「第一の律法」をお届けします。


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