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ほぼ5分で読める勝共理論 41
中国問題⑤
天安門事件とは何だったのか?

編集部編

知られざる「天安門事件」
 今回は、天安門事件についてお伝えします。

 天安門事件というのは、1989年に起きた中国最大の汚点ともいわれている事件です。
 最近では、「知らないなあ」という人も多いのではないでしょうか。
 しかし中国の本質を知る上で、大変重要な事件です。

 事件のきっかけは、最高幹部の一人、胡耀邦という人物が亡くなって、天安門広場で追悼集会が開かれたことでした。

 胡耀邦は、学生による民主化を求める運動に理解を示していました。
 そしてそのことで、鄧小平から解任されてしまいました。学生らの追悼集会は、鄧小平への抗議の意味合いも含んでいたのです。

 集会には大勢の学生らが集まりました。天安門広場はかなり広い場所です。最大で50万人が集まることができます。そしてこの広場が、学生らによって埋め尽くされました。

 学生のリーダーはメガホンで学生らにデモを呼びかけ、外国の報道陣に対して民主化を要求する文書を読み上げました。
 多くの学生らが断食をして抗議の意を表し、多くの労働者らが学生を支持する行進を行いました。

 この動きに対して、鄧小平はある決断をしました。
 戒厳令を敷いて、デモの鎮圧のために警察ではなく軍隊を動員したのです。

 軍隊というのは、国民を守るために外国の勢力と戦うための組織です。
 その軍隊が、自国民に対して武器を向けました。これは極めて異常な事態です。
 そして軍隊がデモを行う学生らに無差別に発砲し、デモは強引に鎮圧されました。

 死者の数は公式的には319人と発表されています。しかし実際には1万人以上とする報告もあります。

 中国では厳しい検閲が行われていて、正確な数は分かりません。インターネットで検索することもできません。
 日本に来た留学生が、日本の授業で初めて天安門事件を知った、ということもよくあるそうです。

言論の自由のない国
 当時の学生リーダーの一人が劉暁波という人物です。
 劉暁波氏は「零八(08)憲章」という民主化のための憲法草案を作って、ノーベル平和賞を受賞しました。中国人としての初めてのノーベル賞の授賞者です。

 ただ、劉暁波氏は4度も投獄されていて、この授賞式にも参加することができませんでした。
 結局劉氏は2017年にがんで死亡し、受賞してから一度も解放されなかったただ一人のノーベル賞受賞者になってしまいました。

 現在の中国では、天安門事件が大きな教訓になってしまっています。
 どういう意味かというと、天安門事件は、最高幹部の内部紛争によって学生らがデモを起こしたという形になっているということです。

 それで、それ以降の中国では、最高幹部の内部闘争の内容が表に出ることは一切なくなりました。もし新聞などに載ると、その編集長らは即刻逮捕されます。

 ですから中国にいても、中国の政治の状況は一切分かりません。分かるのは、共産党の指示どおりに書かれた宣伝の内容ばかりです。
 中国について詳しく知るには、むしろ米国のニュースを見た方がよい、という話もあるぐらいです。

 中国は天安門事件を軍事力で弾圧しました。そしてその構造は今も変わっていません。むしろ、同じような事態にならないように、市民への監視がより強化されています。
 言論の自由はありません。これが中国なのです。

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