https://www.kogensha.jp/shop/detail.php?id=4252

ほぼ5分で読める勝共理論 40
中国問題④
中国の「改革開放政策」

編集部編

毛沢東から鄧小平へ
 今回は、中国が資本主義経済を取り入れて以降の経済政策について説明します。

 さて、前回説明したように、中国の大躍進政策は大失敗しました。そして毛沢東は国家主席を辞任しました。
 次に時の権力者となったのは鄧小平という人物でした。

 鄧小平は1978年に日本を訪れて新幹線に乗った時、日本の経済と技術力に圧倒されました。
 その後には、シンガポールに行って外国企業の誘致について学びました。
 この体験が、鄧小平の考えの基本になりました。

 鄧小平は「先富論」という基本原則を掲げました。
 どういう意味かというと、文字どおり、「先に富むのが良い」ということです。
 社会主義の理論では、常に人々は平等でなければなりません。裏を返せば、悪平等です。

 しかし先富論では、豊かになれる条件を整えたところから豊かになればよい。その影響で他も豊かになればよい、としました。
 そして鄧小平は、工業、農業、国防、科学技術の四つの分野を重点分野として、ここから中国の近代化を達成するという目標を立てました。
 これを「四つの近代化」といいます。

 この結果、農村では人民公社が解体され、生産責任制が取られました。収穫が増えるほど農家が得をするようになりました。

 また、上海などの沿岸部には経済特区が設置されて、外国企業を誘致することができるようになりました。もちろん日本企業もたくさん進出しました。
 こうして中国経済は、飛躍的に発展しました。

 この鄧小平の政策を、「改革開放政策」といいます。
 ちなみに現在の中国経済の規模は、毛沢東の時代に比べて200倍以上になっています。

中国経済の実態
 鄧小平の有名な言葉に「白猫黒猫論」というものがあります。
 これは、「白猫であれ、黒猫であれ、ネズミを捕るのが良い猫である」ということわざを引用したものです。

 社会主義経済だけが良いのではなく、中国を発展させられる経済が良い経済である、という意味です。
 これで多くの人が、「中国はもはや社会主義を捨てた。資本主義国家となるのは時間の問題だ」と考えました。

 しかし鄧小平は、経済政策とは裏腹に、政治的には中国共産党の一党独裁をより強化しました。
 これは、鄧小平が目指したのは中国の民主化でもなく、中国を資本主義の国にすることでもなく、強い中国をつくることだったということです。

 鄧小平は、愛国心強化のために、靖国神社問題で日本を批判し、全国に日本の中国侵略の記念館や記念碑を建設しました。南京大虐殺の記念館も造らせました。

 さらには、大学生らが民主化を要求した天安門事件では、軍隊を使って鎮圧するよう指示しました。
 また、軍事力の拡大のために中国軍の近代化計画を作らせました。現在の中国軍はこの計画に基づいて動いています。

 言ってみれば、現在の国際社会における中国の脅威は、ほとんどが鄧小平によってつくられたといえるでしょう。

 現在の中国の経済は、「国家資本主義」とか「赤い資本主義」とかいわれたりします。
 一応世界の資本主義経済への仲間入りはしました。でも完全に自由化されてはいません。

 例えば、中国政府が為替を操作します。株価も操作します。国内にやって来る外国企業に対しては強く干渉します。
 あくまでも中国にとって都合のいいように自由化を進めているだけなのです。
 これが、中国経済の実態です。

 言ってみれば、中国の経済の自由化は資本主義国家になるためではなく、資本主義世界の富を吸い尽くすための自由化です。他国の機密情報を盗み取ることなど当たり前です。

 今後は、中国にも国際社会のルールを守らせなければなりません。
 その点において、日本は極めて重要な立場に立っているといえるのです。

【関連書籍】

◆『よくわかる勝共理論~日本と世界の平和のために~』(光言社)

▲詳細はこちらをタップ