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ほぼ5分で読める勝共理論 39
中国問題③
中国の「大躍進政策」

編集部編

「鉄」に注目した毛沢東
 今回は、中国が建国された当時の経済政策、いわゆる「大躍進政策」と呼ばれる政策について説明します。

 中国は社会主義国家として1949年に建国されました。
 これまで説明してきたとおり、社会主義国家では自由な経済活動ができません。では、誰が経済活動を計画するのかというと、国が行います。これを「計画経済」といいます。

 計画経済では理論上、資本家が利益を独占するということはありません。
 利益は国民に平等に分配されます。また、計画は全て国の発展のためだけに行われます。
 こうして社会主義経済では、国民が平等になり、国家は資本主義以上に発展すると考えました。

 中国の場合は、国というのは共産党政権を指します。そしてそのトップは国家主席です。ですから計画経済とは、国家主席の計画で経済が運営されるということです。

 中国の初代の国家主席は毛沢東という人物でした。
 この毛沢東が掲げた社会主義経済の政策を、「大躍進政策」といいます。
 毛沢東は、大躍進政策によってイギリスやアメリカも超えられると考えました。

 毛沢東は鉄に注目しました。あらゆる産業の基礎には鉄が必要だからです。しかし中国には大きな製鉄所がありません。
 それで毛沢東は、「100万基の溶鉱炉を6000万人の人民が生産すればよい」と考えました。質の不足を量でカバーしようというわけです。

 こうして中国全土では、手作りの溶鉱炉が造られました。そしてあらゆる職業の人々が鉄の生産を行いました。農家も学校の先生もお医者さんも看護師さんも、時間を見つけては溶鉱炉に行きました。
 これで中国の鉄の生産量が世界トップクラスになり、中国経済は世界トップクラスになるというわけです。

壮大な実験がもたらしたものとは?
 鉄の生産には高度な技術が必要です。手作りの溶鉱炉でできるのは粗悪品だけです。しかし人々は国から目標を達成するよう圧力をかけられます。

 それで仕方なく、身の回りにある鉄製品を溶かし、鉄ができたと報告しました。
 ヤカンやバケツ、すきやくわなどを溶かして粗悪な鉄をつくったのです。
 鉄をつくるために鉄がなくなる。そんな不思議なことが起こりました。

 また、溶鉱炉で火を燃やし続けるために、大量の木を切り倒しました。それでたくさんの山がはげ山になりました。そのため、雨が降ると大洪水が起こるようになりました。

 農村では、社会主義の考えに基づいて、「人民公社」という国の会社がつくられました。農家はその労働者になりました。

 農村では、すきやくわがなくなって作業効率が落ちました。さらに鉄の生産に時間を費やさなければなりませんので、農業をする時間がなくなりました。

 また、働かなくても同じ給料をもらえるのですから、労働意欲が低下しました。
 これでは、農業が失敗するのは当然です。

 社会主義経済で重視されるのは報告です。「毛沢東の指示で生産量が格段に上がった」と報告すれば昇進できます。
 それでたくさんのうその報告が毛沢東に上げられました。

 作物を1カ所に集めて写真を撮るわけです。すると毛沢東はさらに目標を上げました。こうして報告と現実のズレがどんどん拡大し、ついに中国全土で大飢餓が発生してしまいました。
 餓死者の数は約3000万人といわれていますが、その倍以上という説もあります。正確な数は誰にも分かりません。

 そもそもマルクスが考えた経済理論は、ただの空想に過ぎません。資本家さえいなくなれば全てうまくいく、というのはあまりにも単純過ぎます。

 それでも毛沢東はマルクス主義を信じました。国を挙げて壮大な実験を行いました。そしてたくさんの人々が犠牲になりました。
 これが大躍進政策です。

 ではその後、中国の経済はどのようになったのでしょうか。

 その内容は次回、お話しします。

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