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宣教師ザビエルの夢 52

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第四章 ユダヤ・キリスト教の真髄

四、「私のほかに神はない」

彼の神こそ神なり
 映画「十戒」の中で印象的なシーンが一つありました。ユル・ブリンナー扮するエジプト王パロが、モーセに率いられたイスラエル民族を取り逃がして宮殿に帰り着いたとき、王座に崩れ折れながら一言つぶやくのです。「彼の神こそ神なり」と。

 イスラエルの神によって引き起こされる度重なる災いを目の当たりにしながらも、心をかたくなにしてきた王は、一度はイスラエル民族に出発の許可を出しました。しかしすぐに心変わりして、戦闘の用意を整え、彼らの後を追います。ところが、またしても行く手を火の柱に阻まれます。海の道にあっては、モーセらが乾いた所を渡ったその後を追って、あっけなく波にのまれていく強大な軍勢の最期を見るのです。このような出来事を目の当たりにして、王の口から漏れ出た言葉です。

 奴隷のくびきから解き放たれ、自由の地へと脱出していくイスラエル民族を応援する者にとっては、してやったりの気分です。イスラエルの神の勝利。エジプト王があがめる神は無能な神であって、イスラエルの神には勝てなかった。民がミリアム(◆注13)のタンバリンに合わせて「我が神の勝利なり」と歌う場面では、観客も共に歓喜の声を上げそうです。

 「主に向かって歌え。主は大いなる威光を現し馬と乗り手を海に投げ込まれた」(『旧約聖書』出エジプト記1521

 しかしイスラエル民族は、「エジプトの神に比して我が先祖の神は強大なり」との言葉と全く異なる問いかけを、荒野の道で突きつけられてきました。いったん解放が実現するや否や、今日食べる肉を求め、安逸を求めるに至った民の前に、神ご自身が突きつけてきた言葉は、彼らが考えているようなものとは全く次元の異なるものでした。それが、シナイの山懐(やまふところ)でモーセを通してもたらされた、神からのメッセージの核心です。

 唯一なる御(お)方との出合い。これまでの一切の概念を根底から覆す、選民への語りかけが、十戒の冒頭には刻まれています。

 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」(『旧約聖書』出エジプト記2023

 かくして、エジプトから民を導き出したその方は「唯一なる神」なのだ、という認識に至るための闘いが始まります。


◆注13:ミリアム/モーセの姉、イスラエルの女預言者。

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 次回は、「問いかける御方」をお届けします。


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