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心情開拓
心霊を育てる生活原則(166)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』200549日第3版発行〉より)

14 幸運な者、ヨセフ

▲李耀翰先生

僕として仕えた家を栄えさせたヨセフ

 自分が神のものになり、自分が神の仕事を代行するということが、即、今日私たちが従事している家庭教会運動です。そのように考えた場合、神が私たちと共におり、そのお方が私たちを所有することのできる心の姿勢をいかにしてもつかということが、至って重要であろうと思います。

 先ほど拝読した聖書の句には「幸運な者、ヨセフ」という言葉がありました。神がヨセフと共におられるので、どこに行っても幸運であったという話が記録されています。ヨセフは、子供を授かることができずに悲しんでいたラケルの息子として生まれました。母親のラケルは「神が子供のいない私の恥をすすいでくださった」と言って、その子の名をヨセフと名づけました。ヨセフの誕生は両親の嘆きをぬぐい去ってあげることになり、また父ヤコブと母ラケルの関係を取り戻し、神とラケルの関係をより近づける契機となりました。

 その反面、ヨセフが父母の愛を独占するようになると、腹違いの兄弟たちからのけものにされるようになり、彼の将来には険悪な兆しが見え始めました。かわいい弟が生まれたと家中に喜びがあふれるのではなく、ヨセフと他の兄弟たちとの間には、ひびが入ったのです。

 ヨセフの路程を見ると、幸運ではなく不運によってのみ連結されています。ある日のこと、パンを運んでくるヨセフを殺そうと兄たちは謀議しました。兄たちはヨセフを殺して穴に投げ入れ、父親には、「悪い獣が彼を食べた」と言おうと計略を立てたのです。

 しかし、ユダの提案で死を免れたヨセフは、イシマエルびとの商人に銀20シケルで売り渡され、エジプトに行くことになりました。

 それ以前にヨセフは、父母と兄たちの前で預言的な夢の話をしています。ヨセフが「私たちが畑の中で束を結わえていたとき、私の束が起きて立つと、あなた方の束が回りに来て、私の束を拝みました」と言うと、兄たちはますます彼を憎むようになりました。また、「私はまた夢を見ました。日と月と十一の星とが私を拝みました」という夢の話を父と兄弟たちに語ったので、父は彼をとがめました。このような夢を通してヨセフは、自分も知らないうちに家族に対して預言を語っていたのです。この夢が、その家族とヨセフの将来を予言していることは、だれも知らなかったのです。その後、ヨセフが侍衛長ポテパルの家に売られていき、僕(しもべ)として仕えることになったのです。

 ポテパルの家は、哀れな境遇におかれたヨセフによって、祝福されるようになりました。ヨセフの言うとおりにすると、すべての所有物が増えていったので、主人は家事万端をヨセフに任せるようになりました。ポテパルがヨセフを見て、「主が彼とともにおられることと、主が彼の手のすることをすべて栄えさせるのを見た」ということを告白したのを見ると、ポテパルの家が栄えていく事実を通して、神がヨセフと共におられることを証(あか)させたのです。

 父母の愛の中で育ってきたヨセフでしたが、エジプトの地で僕として仕えなくてはならない悲痛な状態にあっても、自分の事情を前に出すことなく、その家を神が祝福してくださるように仕えました。

 普通は、いかなる人でも自分が不幸に陥ったときには、人のために尽くす余裕などありません。しかし、ヨセフはその不幸を不幸として受けるのでなく、「このようなことを通してこそ天が約束したみ言(ことば)が成就する」という希望を抱くことによって、逆境を乗り越えることができました。ヨセフは、自分の苦しみを宿命として考えました。ポテパルの家で、「この苦しみを自分の責任として負わせることによって、神が共におられることを証させようとしているのだろう」と考えたに違いありません。

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 次回は、「愛の誘惑を強硬に払いのけたヨセフ」をお届けします。


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