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ほぼ5分で読める勝共理論 37
中国問題①
「中国」という国のイメージ

編集部編

国が違えば歴史感覚も違う?
 今回から何回かに分けて、中国問題について取り上げます。
 まずは、「中国」という国のイメージについてお話しします。

 日本人は、他国の歴史を日本の歴史と同じように捉えがちなところがあります。
 どういうことかと言うと、国というのはある民族がずっと変わらずに同じ地域を支配するものだ、と考えてしまうということです。

 これは、日本には当てはまることなのですが、世界では極めて珍しいことです。
 それで、日本以外の国に対するイメージを間違えて捉えてしまうということがあるのです。

 日本の歴史にはいろんな時代がありました。
 例えば、鎌倉時代とか江戸時代、近代化によってできた明治時代、それから戦後の日本国憲法ができてからの日本などがあります。

 それぞれの時代に誰が統治したか、どんな方法で統治したかによって、時代が大きく区切られています。

 ただし日本では、時代が変わっても統治するのは日本人でした。
 織田信長も豊臣秀吉も徳川家康も皆、日本人でした。他の民族が支配したということはありませんでした。

 もし鎌倉時代の元寇(げんこう)の時に日本が負けていたら、モンゴル人が日本を治めていたかもしれません。しかしそんなことは一度もありませんでした。

 一方、中国にも歴史上、さまざまな時代がありましたが、中国の場合は、時代が変わると支配する民族が変わる、ということが頻繁にありました。

 中国人といえば、だいたい漢民族のことを指すのが普通だと考えますが、漢民族が中国を支配した王朝は中国の歴史の約4分の1に過ぎません。

 初めて中国を統一したのは、万里の長城を造った秦の始皇帝ですが、この人も漢民族ではありませんでした。
 他にも、唐や清は女真族の王朝で、元はモンゴルの王朝です。

 このように、違う民族が国を支配すると、それまでの人たちを徹底して殺してしまう、ということがよくあります。
 歴史をつくり替えてしまいます。都合の悪い歴史書は全て燃やしてしまったりするのです。

 これが、日本以外の国の歴史です。

島国日本と大陸中国の違い
 また日本は海に囲まれた国なので、日本という国の範囲が決まっています。これがかなり決定的な意味を持っています。

 それに比べると、中国には「ここまで」という範囲はありません。
 現代の中国は、チベットやウイグルという国を軍事力で併合してしまいました。「ここも中国だ」と言って支配すればそうなってしまうのです。

 つまり中国人にとっては、他の民族と仲良く共存する、という感覚は歴史的にはなかったということです。

 また、中国の範囲はここまで、という意識もなかったということです。
 戦争に勝って支配を拡大すればそこも中国。逆に戦争に負ければ全て支配されて歴史まで塗り替えられる、そういう歴史です。

 ここでは、どちらの歴史が優れているか、という話はしません。
 日本の歴史を誇りに思うかたもいるでしょうし、中国の歴史を誇りに思うかたももちろんいるでしょう。

 それはさておき、ここで問題なのは、国の在り方を、中国の人たちは必ずしも日本人と同じようには考えない、むしろ日本の考え方は特殊なんだ、ということです。

 例えば、「尖閣諸島を巡って争いが起きるんだったら、中国にあげてしまえばいいんじゃないか」と言う人がいます。
 これは非常に危険な考えです。中国が尖閣諸島の領有権を主張するのは、別にその島だけが欲しいのではなく、さらに支配を拡大しようとしている、その第一歩だからです。

 次回は、中華民国と中華人民共和国について説明します。

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