2024.07.10 17:00
共産主義の新しいカタチ 20
現代社会に忍び寄る“暴力によらざる革命”、「文化マルクス主義」とは一体何なのか?
国際勝共連合の機関紙『思想新聞』連載の「文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜」を毎週水曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部による加筆・修正あり)
「プロレタリア独裁」否定し「ユーロ・コミュニズム」潮流へ
レフ・トロツキー①
1919年、スパルタクス団はドイツ共産党を旗揚げするも、ローザ・ルクセンブルクとカール・リープクネヒトの死で求心力を失いました。ペトログラードでの追悼集会でトロツキーは、次なる「第三インター」こそ、「殉教者」としての彼らの遺志を継ぎ、マルクス共産主義運動の拠点とすると宣言しました。
そもそもローザ・ルクセンブルクとレーニンでは考え方が異なり、ロシア十月革命ではローザ、カウツキーら独立社民党は暴力革命による権力奪取を非難。
トロツキーの複雑な立場を「トロツキーは、早くから革命への熱狂と文筆の才とを身につけていた。彼はずっと『イースクラ』(党機関紙)グループの一員であり、レーニンの密接な協力者であったが、1904年以後、ボリシェヴィキ、メンシェヴィキのどちらからも独立した立場を取った。労働者大衆の階級意識と活動に対する彼の楽観的見解は、革命的前衛政党の組織を強調するレーニンを拒絶させた」と『アフター・マルクス』は述べます。
トロツキーには、レーニンが「ロシアのロベスピエール」に見えました。ボリシェヴィキは「前衛党」としてプロレタリアートを「代行」するとしたのです。トロツキーは「まず最初に党の組織が、全体としての党を代行する。最後には一人の『独裁者』が中央委員会を代行する」と、既に出発点から、プロレタリア独裁の陥穽(かんせい)を予見したのです。レーニンは逆に、トロツキーを「メンシェヴィズム」だと痛烈に批判。
トロツキーは、「プロレタリアートによる権力の獲得を、現実的な任務に転換させた」恩人と見なしたパルヴスの考えを引き継ぎ、彼自身指導した1905年の革命で確証し、理論的枠組みを与え、「複合的不均等発展」という社会的・経済的理論と、政治的「永続革命論」とを唱えます。
新主流派を生んだレーニンの踏み絵
時代は下った1919年3月、革命達成後の首都モスクワで、共産主義インターナショナル(コミンテルン=第三インター)創立大会が開催。コミンテルン指導部は「ソビエトをめざす運動は…それは、プロレタリアートの独裁に、共産主義の完全な勝利に向けて前進する大きな一歩である…国際ソビエト共和国の創立は近づいている」と高らかに宣言しました。
社会主義・共産主義の「国際指導センター」(インターナショナル)は、下図のようにマルクス、次いでエンゲルスにより設立されるもいずれも頓挫。だからレーニンによって創設された「コミンテルン」は、「第3インター」と呼ばれます。この国際組織は「モデル国家・ソ連」を擁し、資金も潤沢でした。「革命の輸出」に際し、惨殺したニコライ2世一家の財宝が投入されることになったからだと言われています。
ロシアのソビエト政権主導のコミンテルン創設に、ドイツ社会民主党などロシアよりも歴史が古い西欧の共産主義政党が反対。同党のベルンシュタインやカウツキー、ローザ・ルクセンブルクもレーニンの主張する「プロレタリア独裁」に反対し、やがて「ユーロ・コミュニズム」と呼ばれる潮流を生むのです。
ボリシェヴィキを率いたレーニンは、コミンテルンを「世界革命の司令塔」に仕立てるため翌年7月の第2回大会では、コミンテルン加盟条件(21カ条)を採択し、「踏み絵」として世界の共産主義者に突きつけたのです。
その加盟条件とは主に、①プロレタリアート独裁容認 ②修正主義との訣別 ③合法・非合法闘争の結合 ④民主集中制の採用—からなり、各国共産党は「鉄の規律」として厳格な遵守が求められました。
こうしてコミンテルンから各国共産党が設立され、日本共産党(1922年創立)も上海の「コミンテルン極東委員会」の指導と資金により誕生したのです。
コミンテルンは1943年に解散するも、組織原則はその後も継承(1947年に後継組織「コミンフォルム」が成立し1956年まで存続。これら諸国がNATO=北大西洋条約機構の西側に対抗する「ワルシャワ条約」を結び、東西冷戦の両陣営となりました)。
厳密には、「コミンフォルム」は「コミンテルン」の復活ではなくコミンフォルムは単に情報交換と活動の調整を目的とした欧州地域だけの組織とされました。その後ユーゴスラビアの離脱や、ハンガリー動乱やチェコの「プラハの春」が起こり、社会主義体制を脅かす「反革命」として徹底弾圧。スターリン死後なお、ソ連の「共産主義帝国」ぶりが露わとなりました。
共産党は世界各地で「レーニンの呪縛」を継承し、「民族解放」の名の下で、1970年代にベトナム・カンボジアやアフリカ各地が相次ぎ共産化され、1979年にソ連がアフガニスタン侵略まで拡張、世界32カ国が共産化、総人口の36%が「収容所群島」化したのです。(続く)
★「思想新聞」2024年6月1日号より★
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