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宣教師ザビエルの夢 49

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第四章 ユダヤ・キリスト教の真髄

二、「安息日を覚え、聖とせよ」

学びと再創造の一日
 この日、ユダヤ人は家族で祈り、供えられた豊かな食事を取り、祝いの歌を歌って夕べを過ごします。翌朝は会堂に集い、トーラー(律法)の学びの一時がささげられます。「安息日と祭りは、トーラーを学ぶ機会を与えるためにのみ授けられた」と、ユダヤの伝承にはあるそうです。安息日において、祈り、瞑想(めいそう)、トーラーの学びは、欠くことのできないものなのです。それは人をして、神と人と自然との関係の回復に至らしめるものだからです。

 デニス・プレガーらは、さらに「安息日には自分自身のために、考え、学び、そして反省する時間をもちなさい。内面的に創造的でありなさい」と教えるのです。それは、神を見失った私たちに、神から語りかけられる言葉を通して自分自身を再創造するよう促しているかのようです。

 ところでキリスト者は、ユダヤの安息日の翌朝を新しい安息日としています。週の初めの日、イエス・キリストの復活を見たという体験から、この日を「主の日」として祝うようになりました。そこには、旧約から新約への跳躍、「真の安息日」が一歩近づいたと感じる喜びがあります。新たな意味をもった、聖書の学びと祈りの一日は、やはり7日ごとにキリスト者の生活を聖化してきました。

 私たちの日常生活にすっかり溶け込んでいる一週間のサイクルも、もとを正せば、こうしたユダヤ・キリスト教の伝統の中から出てきたものでした。そうであるならば、週に一度の私たちの休日も、ただ仕事からの解放と休息にとどまらず、より積極的な安息の体験であればと念願するところです。我々を越えた存在との関係の回復を通して、人と人、人と自然が結ばれ、調和して、安らぐことのできる一日の体験が、この日深められることを願います。その平安を家族が共に味わうことができれば、どんなに素晴らしいことでしょうか。

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 次回は、「家庭を支える二つの軸」をお届けします。


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