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宣教師ザビエルの夢 48

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第四章 ユダヤ・キリスト教の真髄

二、「安息日を覚え、聖とせよ」

創造の完成のかたどり
 「安息日」の歴史的起源は、定かではありません。しかしユダヤ教においては、数ある祝祭日の中でも、唯一「十戒」に刻まれた、祭りの中の祭りです。それは祝う人々をして、創世記の初めに記された出来事の意味を探ろうと、その心を駆り立てるのです。

 「この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された」(『旧約聖書』創世記23

 神がこれを聖別され、安息される一日。これは、救済史において人類がいまだ体験したことのない領域でした。神が全人類、全世界の国々、被造世界のすべてを眺めて善しとし、喜びに満たされるという世界は、まだ完結されていないものなのかもしれません。しかし選民だけは、神と人類、被造世界のすべてがその境地に至ることを切なる願いとし、その日を待望することを自らの使命と感じてきました。だから、彼らは安息日を祝うたびに、神の天地創造のみ業の完成を思い巡らしてきたのです。

 ユダヤ人は、未来に訪れる創造の第7日目、その真の安息を迎えんがため、週ごとの「安息日」を、あたかも汚れなき花嫁、天の女王を迎えるように取り扱いました。

 「安息日なり、平安あれかし」(シャバット、シャローム)

 この祈りの響きとともに、創造のみ業が完成するまさにその日のかたどりとして祝われてきたのが、安息日でした。『現代人のためのユダヤ教入門』を書いたデニス・プレガーとジョーゼフ・テルシュキンは、その体験をこう言います。「安息日の目的は、この地上に平和な一日をつくりだすことにある。忠実に実践すれば、安息日は、この世とは思えぬ平和な感覚を実践する人の心に生みだす」と。

 彼らはこのユダヤ教の伝統を、文明への貢献として示しています。なぜなら、この日安息日の律法を守ることは、我々自身の中に内なる平和を生み出し、人々の間に平和を生み出すからです。特に家族の絆(きずな)を強め、友情を深めるというのです。また人と自然の間に平和を生み出し、なによりも人間と神との間に平和が生まれるのです。これが地上の平和だと、彼らは言うのです。

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 次回は、「学びと再創造の一日」をお届けします。


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