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宣教師ザビエルの夢 47

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第四章 ユダヤ・キリスト教の真髄

二、「安息日を覚え、聖とせよ」

●安息日は喜びの日
 神の民の心に刻まれた十戒の中でも、一般によく知られ、日常でも見られるものは、安息日の戒めでしょう。ユダヤ・キリスト教の中で営まれてきた信仰生活をたずねつつ、安息日の意味を探ってみようと思います。

 かつて「炎のランナー」という映画を観たときに、さわやかな感動を覚えました。イギリス人の伝道師で、パリ・オリンピックの短距離走の代表に選ばれた主人公は、予選が日曜日に行われることを知って葛藤します。しかし、主の日にはいかなる競技もしてはいけないと、これを辞退し、礼拝に参席する場面がありました。「安息日を聖とせよ」。十戒の言葉が、主人公の胸に響いていたのです。

 七日ごとに巡り来る一日を安息日として祝う生活は、ユダヤ・キリスト教の伝統です。その根拠は、神から頂いた戒め(律法)にあります。イスラエルに行った人の話では、金曜日の夕刻から土曜日にかけて、店という店は閉まり、電気も消えひっそりとしているといいます。またヨーロッパの町では、日曜日は店じまいの日で、日本人観光客にとって何とも不便な一日だといいます。一般の日本人にしてみれば、「安息日」はまるで「物忌み」でもあるかのようです。しかし「選民」にとって、神とともに過ごす以上の喜びはなく、それ以外の享楽はすべて放棄されるのです。それはまた、家族と共に神の言葉を学び、祝い、喜びを共にする「晴れ」の日なのです。

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 次回は、「創造の完成のかたどり」をお届けします。


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