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宣教師ザビエルの夢 46

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第四章 ユダヤ・キリスト教の真髄

一、選民のこころ

律法の完成を目指して
 そこでこの章では、今まで以上に選民の出発点である「ユダヤ人」の視点に重心を移して、「ユダヤ・キリスト教の伝統」を探ってみたいと思います。ユダヤ民族もキリスト者も、ともどもに選民として共通に保持してきたもので、かつ選民をはぐくんできた力は何かと見てみると、そこに「律法」があります。

 「え? 律法は旧約の教えであって、新約の教えは律法からの解放ではないか」と考える向きもあるかと思われますが、イエスの言っているのは、律法の完成ということであって、律法の廃棄ではありません。

 ユダヤ教もキリスト教も、「律法」の書を正典として重んじてきました。ユダヤ人たちはこれを「トーラー」と呼び、キリスト者は「旧約聖書・モーセ五書」と呼んでいますが、「律法」は「選民」の心に刻まれ、一本の幹のごとく「選民」の生活を貫き通しています。そこで、律法、特に「十戒」がどのように神の民の心に刻まれていったのか、そして、どのようにそれらの人々を生かしてきたのかを、ひもといていこうと思います。

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 次回は、「安息日は喜びの日」をお届けします。


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