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ダーウィニズムを超えて 66

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「ダーウィニズムを超えて」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 生物学にとどまらず、社会問題、政治問題などさまざまな分野に大きな影響を与えてきた進化論。現代の自然科学も、神の創造や目的論を排除することによって混迷を深めています。
 そんな科学時代に新しい神観を提示し、科学の統一を目指します。

統一思想研究院 小山田秀生・監修/大谷明史・著

(光言社・刊『ダーウィニズムを超えて科学の統一をめざして』〈2018520日初版発行〉より)

第六章 歴史から見た宗教・哲学と科学の関係

(三)科学の発展と神の摂理

 科学の発展は、個々の科学者の意思を超えた、背後の神の摂理によってなされてきた。それは次のような事実からも明らかである。

 19世紀の初め、「幾何学のプリンス」とよばれたガウス(Gauss, 17771855)およびその他の人々によって、一種の曲がった空間に対する非ユークリッド幾何学がつくられた。その後、リーマン(Riemann, 182666)によって、非ユークリッド幾何学は任意次元の曲がった空間の一般論に拡張されて、リーマン幾何学となった。ガウスもリーマンも、抽象的な世界での理論を展開したのであって、その数学が現実の世界にあてはまるとは考えていなかった。ところがのちに、アインシュタインが一般相対論の展開を始めたとき、その数学が役立った。アインシュタインが重力を時空の曲率の結果であると考え、曲がった三次元空間や四次元時空を記述するのに、その数学を用いることになったのである。ワインバーグは、次のように述べている。

 数学はアインシュタインが利用するのを待っていた。と言っても、ガウスやリーマンやその他の19世紀の微分幾何学者が、彼らの仕事が重力の物理的理論に応用されるとは全く考えていなかったと、私は信じている(*7)。(太字は引用者)

 さらに19世紀にガロア(Galois, 181132)が創始した群論が、のちに素粒子物理学に応用されるようになったという例もある。物理学において内部対称性の原理というものが見いだされた。それにより中性子と陽子および6個のハイペロンという粒子は一つの族にまとめられるというように、よく知られている粒子が8個ずつの粒子を含む属に分類されたのである。そして、それはゲルマン(Murray Gell-Mann)とネーマン(Yuval Neéman)によってSU3)というリー群で記述されることが明らかにされた。そして、それがゲルマンとツワイク(George Zweig)によって、クォーク理論へと発展したのである。ワインバーグはこのような事実を踏まえて、次のように述べている。

 数学者が数学的な美の感覚に導かれて形式的な構造をつくりだし、後になって物理学者が(数学者にはそんな目標は頭になかった場合でも)それが有用であることを見つけるのは、非常に不思議なことである。物理学者ウィグナーの有名なエッセイは、この現象を「理屈では説明できない数学の有効性」と呼んでいる。物理学者の理論で必要になる数学を予想する数学者の能力を、一般の物理学者は全く神秘的なものと見る。……では物理学者は、現実世界の理論を発見するのに役立つだけでなく、物理理論の正しさを(ある場合には実験的な証拠に逆らってまで)判断するのにも役立つ美の感覚を、一体どこで手に入れるのだろうか。そして数学者の美の感覚は、何十年あるいは何世紀も後の物理学者にとって価値のある構造に(数学者自身は物理学への応用に関心がない場合すら)、どのようにして導くのだろうか(*8)。(太字は引用者)

 数学者の発見した理論がやがて物理学者によって利用されるようになっていたということは、初めに数学者を立てて数学の理論を構築せしめ、後に物理学者を立て、その数学を用いて自然界の物理法則を発見せしめるように導いた神の摂理があったと見ざるをえない。

(四)むすび

 以上見てきたように、文化の発展を導いているのは神の摂理であり、哲学と哲学の対立、闘争の過程を通じながら、文化は次第に創造本然の状態に向かって前進してきたのであった。そして今や、神の摂理は創造理想世界の実現という最終段階を迎えようとしている。ここにおいて、現代の科学と完全に調和した立場から、神の存在と、神の創造の目的と、神の創造のみわざを明確に示す、新しい宗教真理が必要とされているのである。そしてその示す方向に導かれて科学は前進しなくてはならない。AD・ホワイトも次のように言っている。

 そこで、われわれは科学の戦いを変えようではないか。宗教と科学とが敵としてではなく同盟者として立ち上がる戦いに変えようではないか。その闘争を、あらゆる虚偽に対する、あらゆる真理のためにする戦いに変えようではないか。不正に対する正義のための、誤謬に対する真実のための、宗派やドグマの枯死した殻のためではなく宗教の生きた核心のための戦いに変えようではないか。そうすれば、その闘争のために多くの受難をもたらした大軍も、ついには協力して神の豊かな祝福で地上を満たすことになるであろう(*9)。(太字は引用者)


*7 スティーヴン・ワインバーグ、小尾信弥・加藤正昭訳『究極理論への夢』ダイヤモンド社、1994年、173頁。
*8 同上、176177頁。
*9 アンドルー・ホワイト、森島恒雄訳『科学と宗教との闘争』岩波書店=岩波新書、1970年、174頁。

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 次回は、「混迷する神なき現代物理学」をお届けします。


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