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シリーズ・「宗教」を読み解く 323
修道院の祈り㉑
学識ある博士、ボナヴェントゥラ

ナビゲーター:石丸 志信

 ドミニコ会の修道士トマス・アクィナスと同時期に活躍したフランシスコ会士にボナヴェントゥラがいる。
 彼は、神学教授、フランシスコ会総長として多大な功績を残し、晩年枢機卿に任じられている。

 先の教皇ベネディクト16世は彼のことを、「信仰と文化の調和の形成に貢献した偉大なキリスト教的人物」「活動と観想の人であり、深く敬虔(けいけん)でありながら賢明な統治を行う人だった」と評している。

▲ボナヴェントゥラ

 ボナヴェントゥラは、1217年、一説では1221年にイタリア中部の小さな町バニョレージョに生まれた。

 その頃、アッシジに近いこの町にも聖フランシスコの名声が届いていた。幼い頃に重い病に罹(かか)ったが、聖フランシスコに深い尊敬の念を抱く母親の、熱心な祈りによって奇跡的に治癒したと伝えられる。

 少年時代、彼はフランシスコ会士から読み書きを学び、長じてパリ大学に進み学芸学部の教授資格を取得した。
 この頃、ボナヴェントゥラはアッシジの聖フランシスコの「小さき兄弟会」への入会を決意している。

 彼は、友人に宛てた手紙の中に入会の動機をこう記している。

 「教会は初め単純な漁師たちから始まり、そして後にもっとも明敏な学識ある博士たちへと向上したのである。あなたは聖フランチェスコの修道会のうちに同じことを見るであろう。それが人間たちの思慮によってではなく、キリストによって生じたのだということを」

 フランシスコ会士となったボナヴェントゥラは、この言葉どおり、神学を修めて「学識ある博士」になる。
 1253年に神学教授資格を獲得、1257年にパリ大学での教授活動が正式に認められた。その同じ年、彼はフランシスコ会の総長に選出され、修道会の内外の問題解決にも奔走する。

 1273年には、教皇グレゴリウス10世によってアルバーノ司教兼枢機卿の位に叙せられ、翌年、リヨンで開催された第二リヨン公会議にトマス・アクィナスと共に神学顧問として招聘(しょうへい)された。

 トマス・アクィナスは、リンに向かう途中で体調を崩し、帰らぬ人となった。
 ボナヴェントゥラは、公会議の主要課題であった東方正教会との和解の道を開きながらも、この会期中に天に召され、その生涯を閉じた。12747月のことだった。

【参照】
・『無名の教師にあてた三つの問題についての書簡』(三上茂訳)
・『中世の神学者』(教皇ベネディクト16世)



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