2024.06.25 17:00
シリーズ・「宗教」を読み解く 322
修道院の祈り⑳
一生をキリストへの愛にささげたトマス・アクィナス
ナビゲーター:石丸 志信
中世神学の大成者として知られるトマス・アクィナスだが、その本質は修道者だったことを見逃してはならない。
彼は修道者として神を見つめ、イエス・キリストを見つめ、人間、世界万象を見つめてきたのであり、神が人間に付与した理性を用いて真理を探究し、理性を超えて知に至る道を祈り求めた。
「憐れみ深き神よ、御身の御名と御栄えのために、われをして、御心に適うことを熱心に望み、賢明に探し、真実に知り、完全に行うことを得しめ給え。…わが神なる主よ、御身を知る知性、御身を探す熱心、御身を見出す知恵、御身の御心に適う生活、御身を待ち望む毅然たる堅忍、ついには御身に一致し奉る信頼をわれに与え給え。この世では御身の懲らしめの苦しみを償いとして受けとめ、この旅路では御身の恩恵を御恵みによりて用い、祖国では栄光によりて御身の喜びを完全に享受することを得しめ給え。神なる御身は世々永遠に生き、支配し給う。アーメン」(『中世思想原典集成14 トマス・アクィナス』812~813ページ)
トマスは日々イエス・キリストのみ前にひざまずいて、こうした祈りを唱える日々であったという。
彼の神学的労作も祈りなくしてはなされるものではなく、学問研究の目的自体がイエス・キリストを通して、神をより深く知ることに向けられていた。
人間にとっての至高の幸福は神の本質を直視すること、すなわち「至福直観」に至ることと見ており、究極的に「顔と顔とを合わせて、見る…」(コリント人への第一の手紙 第13章12節)境地を追い求めていた。
晩年になって、彼はたびたび思索に熱中するあまり放心状態になり、祈りのうちに忘我状態で涙を流すことが多くなった。
1273年12月6日、決定的な変化が彼に訪れた。
聖ニコラウスの祝日に当たるこの日、礼拝堂でミサをささげた後、突然、一切の書物を書くことができなくなり、止めてしまったのだ。
心配する僚友には「私が見、私に啓示された事柄にくらべると私が書いたことはすべて私にはわらくずのように見えるのだ」とだけ伝えたという。
トマスは一体何を見たのか、どのような啓示が与えられたのか一切語らないまま、翌春、旅の途上でその魂を天に返すことになった。
「わたしが学び、夜を徹してめざめ、労苦したのはすべてあなたの愛のためであった。わたしはあなたについて説教し、あなたについて教えた。わたしはあなたに反することを知りつつ語ったことは一度もない」
臨終の床でそう言い残したトマスは、神の召命を受けた修道士としての一生をキリストへの愛にささげた。
【参照】
・『中世思想原典集成14 トマス・アクィナス』(上智大学中世思想研究所編訳/監修 平凡社、1993年)
・『トマス・アクィナス』(稲垣良典著 清水書院 人と思想114)
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