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ダーウィニズムを超えて 63

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「ダーウィニズムを超えて」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 生物学にとどまらず、社会問題、政治問題などさまざまな分野に大きな影響を与えてきた進化論。現代の自然科学も、神の創造や目的論を排除することによって混迷を深めています。
 そんな科学時代に新しい神観を提示し、科学の統一を目指します。

統一思想研究院 小山田秀生・監修/大谷明史・著

(光言社・刊『ダーウィニズムを超えて科学の統一をめざして』〈2018520日初版発行〉より)

第六章 歴史から見た宗教・哲学と科学の関係

 今日まで、宗教と科学は闘争の歴史をつづってきたと見られることが多かった。そして、宗教は科学の発展を阻害してきたと考えられてきた。しかし、果たしてそうであったのだろうか。

(一)歴史的考案

1)古代オリエント
 人類文化の発祥の地といわれるメソポタミア、エジプトに花開いた古代文化において、科学は宗教と密接に結びついていた。すなわち数学、天文学、医学、建築などは、すべて宗教的な宇宙観や儀式と結びついていたのである。

2)ギリシャ時代
 ソクラテス以前の時代は自然科学の時代であったが、哲学と科学は密接に結びついていた。例えば、「万物は流転する」という哲学的見解をもっていたヘラクレイトス(ca.535475B.C.)は、自然の最も変化しやすい火を万物の起源と考えたのであった。

 やがてアテナイ期に至ると、ソクラテス(470399B.C.)は、哲学者の第一の仕事は人間と社会とを秩序づけることであって、自然界を理解したり支配することではないとして、自然哲学を退けた。そのため、しばらくの間、自然科学も自然哲学も衰えたのであった。

 しかし、プラトン(427347B.C.)とアリストテレス(384322B.C.)は、哲学と科学を統一した体系にまとめ上げ、再び自然科学に哲学的意味を与えた。プラトンは宇宙の始まりを混沌(こんとん)と考えたが、神がその知的な計画でもって宇宙を秩序づけたと考えた。そして宇宙を秩序づけているものをイデアと呼んだ。かくして哲学(イデア界)と科学(現象界)は結びつけられたのである。アリストテレスにおいては、すべての事物には形相(実体をして、そのものたらしめている本質)と質料(材料)から成り立っているとしたが、形相は目的性を含むものであった。そこにおいて哲学と科学は統一されていた。哲学は自然科学と結びつき、自然科学の発展を支えていたのである。

3)ヘレニズム・ローマ時代
 ところが、アレキサンドリア時代からローマ帝政時代にかけて、科学は哲学から離れて実用面のみを追求するようになった。アレキサンドリアには一時、高い水準の技術文化が開化したが、ローマ帝政時代に至ると、科学は次第に霊感を失い、生命力を失って衰退していった。

4)中世
 アウグスティヌス(354430)は「戸外に出るな。あなた自身のうちに戻れ。人間の内面にこそ真理は存在する(*1)」と教えた。そして教父たちは「星の研究をすれば、おそらく、天にまします神に無関心になるだろう(*2)」と考えた。そして自然現象そのものの研究に対しては何ら積極的意義を認めなかった。そのため自然科学は顧みられることなく衰退していった。中世前期を通じて、西欧世界では自然界への関心は、ただそこに宗教的な真理のための実例を見いだすことにすぎなかった。その間、ギリシャの哲学と科学はアラビア世界に移り、そこで保存され発展することになった。

 ようやく12世紀に至り、西欧世界はアラビアよりアリストテレスの哲学を移入した。そして13世紀になると、キリスト教はアリストテレスの哲学を受け入れて、それをキリスト教神学に統合した。それとともに自然科学に積極的な意義を見いだすようになった。


*1 チャールズ・シンガー、伊藤俊太郎他訳『科学思想のあゆみ』岩波書店、1968年、148頁。
*2 同上、154頁。

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 次回は、「歴史的考案②」をお届けします。


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