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心情開拓
心霊を育てる生活原則(160)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』200549日第3版発行〉より)

12 第37年路程を走り抜くに当たって
(1976年1012日 東京教会)

▲李耀翰先生

祈祷による報告生活

 そしていつも、対話するように、自分よりアベルと相談してみればいいのです。「私はこういう時にこう感じた」と、アベルにいつも相談すべきなのです。生活したあとには、アベルに相談しなくても、祈祷してみればいいのです。「あなたならこの時、この人に対してどう思って、どう話しますか」。

 「おやじなら、心配しながら涙をもって接するに違いない」、こういうふうに、もう直感がくるのです。祈祷して、「自分の生活を神様はこういう時にどう暮らしますか」と、「先生はどう暮らしますか」と、「あなたならばどういう感情、どういう心情でもって接しますか」と、このように聞いてみたら、本心からわきあがるから、すぐ答えを受けるのです。

 だから伝道したあとでも、そのまま報告してみるのです。伝道してその家に行って、対話したそのままを、天のお父様に報告しながら、「私はだれだれの家に行きました」。その家に入ったそのままを、報告してみなさいというのです。

 だから神様に原理講義もしてみなさいというのです。先生は、「神様の前に堕落論を一生懸命にやってみなさい」というのです。「神様の前に復活論をやってみなさい」と。そうして神様と通ずる時に泣き始めるというのです。原理講義、神様に講義をすれば神様の心情に接するというのです。

 先生のお話では、ほとんどの人が、講義は一生懸命にしても、祈祷の時には、別に講義の内容そのままを祈る人はいないということです。だから伝道してきて、伝道したそのままを話してみれば、「私はきょう、間違った。その人にこう話したけれども、こうすべきだった」と、神と祈祷者の間で次元の違った面から、素晴らしく恵まれるのです。「ははあ、こうしたならあの人は、とても感動するはずだった」と素晴らしい知恵が出るのです。そういう時、祈祷してみると、相当恵まれるのです。

 説教する前にまず、祈祷の中で、神様に説教するのです。そうすると神様の心情を実感するのです。これが本性です。祈祷は本性からわきあがるから、いくら悪人でも、自分の子供には善の話をするでしょう。一番近い人には、善の話をします。だから自分の子供には善の話をします。だから私たちがいくら基準が下がっていても、祈祷は本性から出るのです。神様に祈祷しながら、本性と神様が授受するのを私は知っています。皆さんも、そういう経験がたくさんありますか。

 伝道をしたあとに、必ず伝道報告をそのまましなければならないのです。それができなければ、自分より経験の多い人に、そのままを話して、その人の意見を聞いてみるのです。そのまま話して、その人の意見を聞いてみるのです。相当発展します。反対に、生活をそのままほっておいて、いくら努力しても、自分は発展しません。

 生活そのものを、そのまま祈祷してみるのです。これから、そうしようとするのです。だれか尋ねていこうとする時、その家に行って、こうしたり、こういうふうに話したいと祈祷するのです。こういう時には、神様の立場での新しい内容を知るようになるのです。

 だから説教者は本当に本心で、情的に説教すれば、自分も恵まれ、相当自分も知らないことをよく言うのです。だから説教したあとは、自分が説教したと思っては大間違いです。だから、自分はラジオです。その時、自分は聞いた、自分は話しながら聞き、そして感動したとすると、説教が終わったあとの自分は、聞いた立場で生活しなければなりません。

 自分が説教する以前の立場で、暮らしてはいけません。説教を聞いた立場で、暮らすのです。それが説教者としての発展する姿勢なのです。自分が教えたと思う人は、発展できないのです。

 では、質問がないので終わりにしましょう。

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 次回は、「神を所有する者」をお届けします。


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