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心情開拓
心霊を育てる生活原則(159)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』200549日第3版発行〉より)

12 第37年路程を走り抜くに当たって
(1976年1012日 東京教会)

▲李耀翰先生

み言による心情復活

 質問を受けましょうか。もう、みな質問したいことの答えを話してしまったから、質問がなくなったでしょう。質問がないのを見ると、説教が100パーセントうまかったのですね。もう一言ももれなく、完全に話したものだから、もうここに来て一人も質問したくなくなったのでしょう。しようとして来たけれども、もうみな解決したでしょう。だから黙って座っているのですね。だから私を見て、「ああ、この説教は、もう何百人も骨まで見通したじゃないか。霊通者だな」と、こう見る人が多いのですね。

 「原理」がそうなっているから通ずるのです。難しいものではありません。信仰路程は難しくありません。

 この間、小山田さんが、先生に「生活心情は、どうすれば復活しますか」と質問したのです。そうすると「あなたは英語をどういうふうに学びましたか」、こういうふうに先生はすぐ答えられました。英語を学ぶごとくに、み言(ことば)を自分の情にしようとすると復活できると。「これは立派な答えだ」と、私はそばにいて、「本当に、なるほどそうだ」と思いました。

 私たちの生活の一つ一つを全部み言によって受肉しようとすれば、これはできないことではありません。英語をどのようにして習ったか。すぐこう聞くのですね。だから私たちは、み言をほっておいて、自分の仕事に夢中になるのですが、英語を学ぶ人は、英語に精神をおいて暮らすのです。見る時は、英語で読むのです。もう、本を置いたきりで、全然考えない人は、何十年英語を学んでも、分からないのです。どんな所へ行っても英語でもって考えながら話すのです。日本語を使いながらも、「英語ではこうなる、ああだ、こうだ」と話しながら考えながら、いつも話せば、英語は学べるのですが、英語を見る時だけ英語で、日本人と話す時は、英語のことは全然考えないとなると、いつまでも英語は身につきません。だから、日本にいると、いつまでも英語を話せないでしょう。

 アメリカに行くと、英語をみな2年くらいたったらペラペラしゃべれるのです。道端で立派な人をつかまえて、ペラぺラ話すのを見ると、実によくしゃべっています。あの発音の悪い日本人の英語でも、あの人たちは聞いて分かるのです。どれほど習っても、日本語式の発音の英語になるのですが、よくしゃべっているのです。アメリカに行って暮らす人と同じくらいに、私たちの生活においても、み言におぼれて、びっしょりぬれて暮らすのです。何でもかんでも、み言にぬれてみるのです。

 この間も、言葉にぬれて暮らすという話をしたことがありますが、「言葉は言葉である。自分は自分である」と言うと、いつまでも私たちの生活心情は復活しにくいのです。この本性を中心とした心情は、復活しにくいのです。

 言葉にぬれて暮らせば、実感します。言葉は言葉、自分は自分と習慣的に暮らさないで、言葉にいつも接してみ言を通じて、「原理」を通じて暮らしなさい。そうしたら、自分の心情は言葉によっての情が、自分を主管するはずです。

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 次回は、「祈祷による報告生活」をお届けします。


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