2024.06.13 12:00
ほぼ5分で読める勝共理論 33
学生運動に影響を与えた唯物史観
編集部編
学生運動はなぜ起きたのか?
今回から、唯物史観に入ります。
唯物史観というのは、唯物論による歴史観という意味です。
もう少し分かりやすく言うと、「歴史には目的や法則性がある」という理論です。
実はこの理論は、共産主義を信じる人たちにとってかなり重要な内容です。
今から半世紀以上も前になりますが、日本の多くの若者たちが学生運動をしていたことをご存じでしょうか。
学生運動には大きな二つの山がありました。一つ目の山は1960年、日米同盟が更新された時のことです。
それまでの日米同盟では、日本に米軍が駐留することは決められていましたが、たとえ日本が攻撃を受けても、米軍には日本を守る義務はありませんでした。
米軍が日本に駐留する目的は、どちらかといえば日本を監視するため、という意味合いが強かったのです。
それで日本では、この日米同盟を変えないといけない、という声が高まりました。
そして岸信介総理大臣の時に日米同盟を新しくしました。これを新安保条約ともいいます。
これによって日本が攻撃を受けるようなことがあれば、米軍は自衛隊と共に日本を必ず守らなければならなくなりました。いわゆる集団的自衛が明記されたわけです。
さて、この新安保条約に対して、若者らが大規模な反対運動を起こしました。
その理由は、「日本が米ソの冷戦に巻き込まれてしまう」というものでした。
当時は米国とソ連の対立がかなり激しくなっていた時期だったので、日本が米国と同盟を結べば、巻き添えになって戦争に引き込まれてしまうと考えたのです。
しかし日本が戦争に引き込まれることはありませんでした。
そしてその後も、日本は戦争に巻き込まれたことは一度もありません。
若者たちを学生運動に駆り立てたもの
これと似たような話が2015年にもありました。安保法制の話し合いの時です。
当時はテレビをつけると、毎日のように安保法制が批判されていました。
安保法制を作ったら日本は米国の言いなりになる、世界中に戦争に行くことになる、そして徴兵制が始まるんだ、という具合です。
でも実際は、安保法制ができてもう8年以上がたちますが、そんなことが起きる気配はどこにもありません。
あの批判は一体何だったのでしょうか。
話を戻しましょう。
新安保条約の締結の時は日本中から10万人以上の学生が集まって反対しました。
そしてそのデモの最中に、東大の女子学生一人が亡くなってしまいました。この影響がかなり大きかったのです。
また、デモ隊と警官隊の両方に数百人のケガ人が出ました。
その時の彼らの信念は、「共産主義こそが世界に真の平和をもたらす。米国は共産主義を敵視する帝国主義国家である。その米国と軍事同盟を結ぶ新安保条約は、絶対に阻止しなければならない」というものでした。
そして次の学生運動の山は、1960年代の終わりごろの全共闘運動というものです。
東京大学には安田講堂という有名な建物があるのですが、そこに大勢の学生が立てこもりました。
機動隊が取り囲んで彼らを排除しようとしましたが、彼らは火炎瓶を投げたりして徹底抗戦しました。
逮捕された学生の人数は767人です。その直後の東大の入試は中止になってしまいました。
彼らがそこまで熱心に運動したのは、「共産主義は正しい。今の日本は間違っている」と信じたからです。
でも彼らは共産主義の詳しい理論はほとんど知りませんでした。その彼らが最も影響を受けたのがこの唯物史観です。
では、唯物史観とは具体的にどんな理論なのでしょうか。
次回から詳しく解説してまいります。
【関連書籍】
◆『よくわかる勝共理論~日本と世界の平和のために~』(光言社)