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宣教師ザビエルの夢 43

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第三章 キリスト教公認への道のり

五、古代ローマ帝国の教会とクリスマス

喜びと悲しみの交差点
 クリスマスの起源をさかのぼってみると、イエス・キリストの意味をひたすらたずね求めたキリスト者たちの姿がありました。クリスマスは、再臨の待望を秘めながら、すでに来られたメシアの公現を祝う喜びの日として覚えられてきました。またこの日は、人類の過去を創造の時までさかのぼって想起し、それに連なる現在を悔い、救い主の到来によってもたらされる未来に、希望を託す一日ともなりました。つまりは、過去も現在も未来も変わることのない、真の愛の源を訪ねる一日として祝われているのです。

 しかしながら、だれも歴史上のイエスの本当の誕生日を知ることがなかったことを思う時、その喜びに悲しみが交差する一日であると思えてなりません。「きょう、救い主が生まれた」という喜びの叫びの裏で、この世で過ごされたイエスの使命も心情も、そのご苦難の意味さえも知る者がなかったという悲しみが、あらわとなるのです。

 こんな時、読み直したくなるのが、ディケンズの『クリスマス・カロル』です。物語では、貪欲(どんよく)で冷血な老人スクルージが、過去・現在・未来の幽霊に教えられ、心底回心した後、たった一人の甥(おい)の元に帰っていきました。そのように、人々はこの日、神の宿る愛に満ちた家庭に帰っていくことの大切さを、心に刻み付けてきたのでしょう。隣人への慈しみと家族への愛を回復したスクルージが、ひざまずいてこう叫びます。「過去と現在と未来を生きよう」と。彼の言葉に重ねて、過去・現在・未来のすべての民の心にある願いを胸に抱き、さらに2000年前にこの世に来られたイエス・キリストが私たちに語りかけたことを、今一度思い起こす一日としたいものです。

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 次回は、「選民とは何だろうか」をお届けします。


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