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宣教師ザビエルの夢 42

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第三章 キリスト教公認への道のり

五、古代ローマ帝国の教会とクリスマス

●エピファニー(キリストの公現日)
 それ以前は、イエス・キリストの降誕としてのクリスマスよりも、救い主が公に現れたことを祝うエピファニーを、重要な祝日としてきました。これは16日に当たるのですが、初めはイエスがヨルダン川で洗礼ヨハネから洗礼を受けたことを記念するものでした。時の流れの中で、それにいくつかの意味が加わります。東方の博士がやってきた出来事を通して、救い主が異邦人の前に現れたこと。カナの婚礼において、イエスが水を葡萄酒(ぶどうしゅ)に変える奇(き)蹟を行われ、初めてメシアのしるしを公に現されたこと、などです。そして、イエスの誕生もその一つに数えられるようになり、それが分かれてクリスマスになりました。

 このことから分かるのは、古代の教会においては、主の顕現という枠組みの中でイエス・キリストの到来をとらえ、その存在において神の救済のみ業(わざ)が完成する出来事として見つめてきたということです。その祝いの時に、神の業に驚き畏(おそ)れ、喜びをかみしめ、希望を抱くことが重要であったようです。なによりもイエス・キリストの全生涯は、救済史の頂点ととらえられました。

 しかしながら、イエス・キリストの存在をめぐって様々な理解が生まれ、時にイエス・キリストの歴史性、実在性までも危うくするような解釈が出てきました。いくつかの異端も登場してくる時に、再度イエスが歴史上に存在したことを踏まえる必要もあったのです。そこで、イエスの地上における誕生がクローズアップされ、特定の日を降誕祭として祝うことが必要になってきたというのです。

 3世紀から4世紀の初頭にかけては、キリストをめぐる異端論争が盛んになり、分裂状態にありました。見かねた皇帝が自ら世界各地の司教たちを招集して、ニケアにおいて初めての世界教会会議(公会議)を開催したのが、325年なのです。

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 次回は、「喜びと悲しみの交差点」をお届けします。


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