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宣教師ザビエルの夢 41

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第三章 キリスト教公認への道のり

五、古代ローマ帝国の教会とクリスマス

●だれも知らない主の降誕の一日
 1225日はクリスマスです。気の早いこの国では、11月ともなると、デパートの店先にはクリスマスの飾り付けが見られ、田舎の街路にもイルミネーションが輝きます。ジングルベルの歌声も高らかに、この時ばかりは、日本もまるでキリスト教国にでもなったかのような印象です。しかし、ケーキを片手に家路を急ぐ人々のうちのどれほどが、この日の祝いの意味を知っているでしょうか。

 クリスマスは、イエス・キリストのご降誕を祝う日です。キリスト者にとって年ごとに巡り来るこの日は、澄み渡った夜空のきらめく星を眺めつつ、真夜中のミサに向かう足取りも軽く、心ほのかに神聖な喜びを味わう時です。「シオンよ喜べ、エルサレムよ歌え。見よ、あなたの王が来る」と賛美しつつ、2000年前に全人類のために神が遣わされた栄光の主の誕生を祝い、待ちに待ったメシアの到来をたたえるのです。

 日本では、明治期になってからクリスマスが祝われ始めたように思われがちですが、すでに16世紀、切支丹(キリシタン)たちによって「ナタルの日」と呼ばれたこの日は、盛大に祝われてきました。1549年に来日したザビエルも、宣教期間中に二度、クリスマスを迎えています。明確な記録はないにしても、彼が日本人信徒を前に、イエス・キリストのご降誕のミサをささげ、救い主の誕生、メシアの到来を記念したことは、想像に難くありません。

 イエス・キリストがこの世に遣わされたことを記念することは、神の約束が果たされたことへの感謝を表すことでもあります。アダムとエバが罪を犯して楽園を追放されるとき、神は彼らの後孫のために救い主を送ることを約束されたといいます。人間始祖が堕落した悲しみの直後になされた約束が、ようやく果たされた喜びの一日として、救済史の全容をたどりつつ、喜びを新たにするのです。

 ところが、歴史的に見てイエス・キリストの実際の誕生日が1225日でないことは分かっていますが、誕生のその日を知る者がいません。ではいつから、史実とはかかわりない日が、主の降誕の祝いの日として守られてきたのでしょうか。1225日がクリスマスとして祝われた最も古い記録は、紀元336年だそうですが、すでに325年ころから祝われ始めたといわれています。それは皇帝コンスタンティヌス治政下の、ローマ帝国においてでした。

 それまでのキリスト教会では、特定の日をイエス・キリストの誕生日として祝うことに、あまり関心が払われていなかったようです。それは、イエスを普通の人間と同様に、あるいはこの世の王のように、特定の誕生日をお祝いするということには否定的だったからです。

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 次回は、「エピファニー(キリストの公現日)」をお届けします。


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