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宣教師ザビエルの夢 40

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第三章 キリスト教公認への道のり

四、キリスト教を容認したローマ帝国

コンスタンティヌス大帝の回心
 コンスタンティヌスの回心には、次のような伝説があります。312年、皇位を争うマクセンティウスとの戦いに劣勢であったコンスタンティヌスは、神へ祈ったところ、夢では「キリストの頭文字を全軍の兵士の楯に刻め」と命じられ、また進軍の途中には、天空に輝く十字架と「これにて勝て」との幻を見たというのです。かくして彼は、キリストのしるしを旗印に掲げて進軍し、遂にミルヴィア橋の会戦に勝利したのです。

 313年、この皇帝が共同統治者リキニウスとともに「ミラノ勅令」を発布したのは有名ですが、これは、先例に倣って信教の自由を認めるものであっても、キリスト教を特別優遇するものではありませんでした。

 死の間際に洗礼を受けることになる皇帝が、篤実な信仰者であったか否かは議論のあるところですが、少なくともそれ以後のキリスト教会に対する彼の政策は、キリスト教皇帝を自ら任じるほどのものでした。そこには、当時もいまだ帝国の全人口の10分の1にも満たないキリスト教を重視する傾向が、はっきりと現れてくるからです。それは、皇帝がキリスト教徒の内から出てくる道徳性の高さに感動し、そのほとばしるエネルギーは、今自分が掌握しつつある大帝国の復興と統一の理念になりうるという、期待があったからだとも受け取れるのです。

 かくして皇帝に好まれたキリスト教会は、それまでの大きな障壁が取り除かれることによって、布教も順調に進むようになり、礼拝の場も整えられ、バシリカ式の大聖堂が建設されるようになります。おそらくそれは、ローマで熟した最高の技術を駆使したものだったのでしょう。

 キリスト教会は、ローマ文化の影響を受けつつも、ローマ帝国に多大な影響を与えるようになります。ローマ帝国のキリスト教化が進み、帝国内のキリスト教文化の土台が築かれます。そのときキリスト教徒らは、もはや迫害される者たちの群れではなくなりました。いや一歩間違えば、逆に迫害する者の輩となる危険性をはらんだ、歴史の岐路に立っていたのです。

 また皇帝が積極的にキリスト教を擁護するということは、喜ばしい出来事であると同時に、多くの問題の種ともなりました。教会と国家をめぐる葛藤は、あるいはこのときから始まったのかもしれません。

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 次回は、「だれも知らない主の降誕の一日」をお届けします。


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